今では「個別指導」という言葉が当たり前のように使われていますが、私が小学生、中学生だった頃には、「個別指導」というスタイルは「家庭教師」の他にはなかったように思います。

私は1972年生まれですので、私が小学生、中学生だった頃、というのは、もう30年以上も前の話となります。

かくいう私の教室(=デュープラー英語学院)も「個別指導」のスタイルを原則としています。

「個別指導」ではないスタイルと言えば、いわゆる「一斉授業」というものですね。

これは今でも公立の小学校、中学校、高等学校で基本的に採用されているスタイルと言えますし、多くの私立校や塾や予備校でもこのスタイルが採用されています。

それに対し、「個別指導」は、生徒の1人1人に合わせて授業を行うというスタイルのものです。

「個別指導」という授業形式が出てきた背景には、「一斉授業ではついていけない子供の面倒を見る」というテーマがあったように考えられます。

もちろん、「一斉授業では簡単すぎてつまらない」という、平均よりもできる生徒を対象にしている、というケースあるでしょうが、多くの場合は「できない子に合わせる」ということを目的として「個別指導」のスタイルが利用されるのではないかと思うのです。

ここで考えるべきは、「できない子に合わせる」ということが、一体どういうことなのか、ということです。

「できない子に合わせる」ということの意味が、「その子が自力でできないことを、教師が助ける」ということだとしたら、それは「逆効果」となる可能性があります。

「ん? できない子に合わせる、というのは、そういう意味ではないの?」と思う人も多いかもしれませんが、「未来へつながる教育論」を主張する者としては、その解釈には賛同できません。

例えば、平均的な学力を持つ子供が「理解するまでに10分かかった」という学習項目があったとします。

これに対し、できない子が同じ学習項目に取り組んだ時、「理解するまでに60分かかった」としましょう。

平均的な子も、できない子も、どちらも「自力」で取り組んだものとします。

この時、教師が「個別指導」を行い、「できない子に合わせる」ようにして「理解の手助け」をしたとします。

その結果、「教師の手助け」によって、無事に「理解」に到達でき、かつ「時間の短縮」も実現できたとします。

教師は「ああ、良かった、めでたしめでたし。」とホッと安心することでしょう。

では、このような子供は、そのうち、このプロセスを繰り返していけば、「自力で10分で理解できるようになる」のでしょうか?

これだけではなんとも言えませんが、なんとなく「自力で10分」というのは無理なのではないか、と思えてしまいます。

 

今の教育の基本はここにあります。

「できない子」には、教師が「手を貸す」ということが当たり前のようです。

「手を貸す」ということによって、「その場をしのぐ」ことはできるかもしれませんが、またその次の時には、その生徒は、「再び誰かの手助けがなくてはできない」ということになってしまわないでしょうか?

「手を貸す」ということこそが「教師の役目」だと思っている人は多いと思いますが、私に言わせると、それは「問題を先延ばしにしているだけ」です。

本当に必要なのは、「できない子」が、どうしてできないのか、ということを考え、その原因を探ることです。

そして、原因を探ったならば、今度はその原因に合わせた「対策」を考えることが重要です。

最終的には、「自分だけの力で、少なくとも平均的な子と同じくらいの能力を身につけさせてやる」ということを目標とすべきです。

「目の前で、できない子が、できなくて困っている」という状況にいたら、たいていの人は「助けてやろう」と思うかもしれません。

しかし、「その場で直接手を貸すこと」が、結果的に、その子が「自力でできるようになるための練習のチャンス」を奪ってしまうことになるのです。

仮に、「理解するのに60分かかった」ということがあったとしたなら、それが、今のその子の力なのです。

そして、それをまずは「受け止める」ということをした上で、「どうすれば、自力で、60分から50分に短縮できるだろうか」と考えていかなくてはなりません。

おそらく、「できない子」に必要なのは、「誰かに助けてもらうこと」ではなく、「自分でやろうとする意志」だと思います。

もちろん、「自分でやろうとする意志」さえあれば何でもできる、とは言いません。

しかし、「自分でやろうとする意志」がなければ、本当ならばできるはずのことも「できませんでした」で終わる可能性も高くなります。

「自分でやろうとする意志」を持ち、それでもできるようにならなければ、今度は「頭の使い方」に問題があると言えます。

つい先日、本ブログのどこかでも書きましたが、「考える」ということをしない子には、「考える」ということをする子に比べ、「長い時間をかけてしまう」という傾向が見られます。

1つの学習項目を終えるのに「長い時間がかかる」という場合には、「考える」ということをしていない可能性があります。

そういう生徒に対し、教師が「手を貸す」ということをしてしまうと、その子はますます「自分で考えなくなる」のです。

「個別指導」という、「自分のレベルに合わせて教師が助けてくれる!」といった、なんとも「すばらしい」と思わせる言葉に惑わされてはいけません。

「個別指導」という形ほど、生徒を「甘やかしやすいスタイル」となりがちなのです。

せっかく「できない子に合わせる」という目的を持っているならば、教師は「手を貸す」よりも、「自分でやろうとする意志」を生徒が持つように語りかけたり、あるいは「覚えるのではなく、考えなさい」と話したりすべきです。

 

このことは、「親」もしっかり理解しておかなくてはなりません。

「うちの子は勉強ができない、だから先生、助けてください」という考え方で「個別指導」のスタイルを採用しようとすると、そのことが結果的に、我が子を「ますますできない子」にしてしまうかもしれないのです。

「できない子」には、「意識の改革」「頭の使い方の改革」が必要です。

そうした部分に働きかけることができなければ、「できない子に合わせる」と言いながら、結局は「その子の未来へつながる」ことは実現できません。

「個別指導」のスタイルを採用しようとする時は、その中身、つまり「教師の指導のあり方」について確認すべきと思います。

 

<続く>


 

本校では、「個別指導」のスタイルを採用しながら、生徒が「自力で取り組もう」という意識を持ち、かつ、「丸暗記ではなく、考えながら理解を進めよう」という意識を持つような指導を徹底的に行っています。

「できない子に合わせる」ということと「その子の未来へつながる」ということの両立を目指しながら、日々、生徒達と真剣に向き合っています。

基本的には「通学」のスタイルで授業を行っていますが、遠方の方など、「オンライン」でのレッスンも対応いたします。
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