まず、「英会話」と「英語」では何が違うでしょうか?
「英会話」という言葉は、かつての「学校英語」に対抗して生まれた言葉のようです。
「学校での文法中心の英語ではダメだ、もっと会話に重点を置いたものを目指すべきだ!」という考え方から、「会話」を中心とした部分を強調して「英会話」という言葉が生まれました。
しかし、「会話」というのは、よくよく考えてみれば「英語で文を作る」&「それを発音する」という2つのことを同時に行っていく、ということです。
「英語で文を作る」ということができるようになるためには「単語の知識」と「文法の理解」が必要です。
そして「発音する」ということができるようになるには、当然「発音のトレーニング」が必要です。
発音のトレーニングはともかく、「単語の知識」と「文法の理解」というものは、学校の英語でやっていること(あるいはやってきたこと)です。
この部分を無視して「会話」ができるようにはなりません。
それはまるで、「交通ルールや車の仕組みを勉強する」ということをしないで「公道を車で走れるようになりたい」と言っているようなものです。
公道を車で走れるようになるためには、運転技術を身につけるだけでなく、交通ルールや車の仕組みについて勉強しなくてはなりません。
これと同じで、「英会話」は「会話」という要素だけで成り立っているわけではないのです。
「会話」というものだけを取り出し、学校でやったはずの「勉強」の要素を除外してしまうと、かえって英語が身につくまでに時間がかかってしまうことでしょう。
しっかりとした力を身につけたいならば、部分的な「会話」ではなく、英語という「言語そのもの」を学んでいくという心構えを持つべきです。
さらに、「習う」ということと「学ぶ」ということは違います。
「習う」という言葉には「誰かに教えてもらう」という前提があります。
一方、「学ぶ」という言葉からは「自分から進んで知識や理解を得よう」という姿勢が窺えます。
もちろん、どのようなことであっても「誰かに教えてもらう」ということは必要です。
しかし、「誰かに教えてもらう」ということが前面に押し出されてしまうと、「自分から進んで」という部分が薄れてしまいます。
「習う」でも「学ぶ」でもどっちでもいいだろう、と思う人も多いかもしれませんが、言葉の違いが「意識の違い」を生むことはあります。
「英語を習おう」という言い方をしている人は、やはり根底に「誰かに教えてもらう」という意識があるのです。
一方、「英語を学ぼう」という言い方をしている人は、やはり「自分から進んで」という意識を持っていることでしょう。
そして、「誰かへの依存」よりも「自らの積極的な意識」を持っている人の方が、何であっても身につけていくのが早いと言えそうです。
「英会話」ではなく「英語」。
「習う」ではなく「学ぶ」。
意識が先か、言葉が先かわかりませんが、年初の目標を立てるならば、是非「英会話を習おう」ではなく「英語を学ぼう」としてみてはいかがでしょうか?