「考える」ということは、そもそも、自分の頭の中にある「言葉」を、別の「言葉(あるいはイメージ)」に「つなげていく」ということです。
「言葉と言葉」をつなげたり、「言葉とイメージ」をつなげたりしていくことが、つまりは「考える」ということになるわけです。
人によっては「言葉」を使わず、「イメージとイメージ」をつなげることで「考える」という人もいるかもしれませんが、一般的には「言葉」の方がより再現性が高く、「考える」ということの「質」も高くなるのが普通だろうと思います。
本校の授業でも、頻繁に生徒に「考える」ということを求めます。
「教師の話をただ聞けば良い」ということではなく、「自分の頭で考える」ということをしなくては、学びたいことが「本当に自分のもの」として消化されていきません。
そこで生徒達は「考える」ということを始めるわけですが、これがなかなかうまくいかない人もいるのです。
「考える」がうまくいかない原因はいくつもありますが、その原因の1つに「言葉が頭の中で飛び交っていない」ということが挙げられます。
普通、「考える」ということをする際には「母国語の言葉」が使われることでしょう。
いくらバイリンガルであったとしても、意味深いことを考えていく時には「母国語」を使うのが普通です。
「母国語」ならば、頭の中に「言葉がたくさんある」と思うかもしれませんが、意外にそうではないこともあります。
小学生、中学生、高校生などの学生であっても、あるいは大人であっても、「普段、日常的に使っている言葉」というものは、どうしても「同じような言葉」であったり「ワンパターンの言葉」であったりしてしまいがちです。
バリエーション豊かに、様々な言葉を日々使い続ける、ということができる人は多くはないでしょう。
普段、友達や家族と話す言葉や、仕事で使う言葉。
自分が日常的に使う言葉は、どうしても「偏ったもの」になってしまうことでしょう。
自分が「知っている言葉」はもっとたくさんあるのに、「実際に自分が普段使っている言葉」はかなり少なくなってしまいます。
自分の頭の中に飛び交う言葉の数が少なくなれば、その分だけ「考える」ということにも制限がかかります。
それ以外の「知っているけれど、普段使わない言葉たち」は、言うなれば、頭の中を飛び交っているのではなく、「頭の中の泥の中に沈んでいる」ようなものです。
泥の中に沈んでしまっている言葉は、「考える」ということをしようとしても、なかなか浮かび上がってきません。
どうしたって、「飛び交っている言葉」、つまり「普段使っている言葉」だけで「考える」ということをしなくてはならないのです。
では、「普段使わない言葉(=泥の中に沈んでしまっている言葉)」を浮かび上がらせ、さらには頭の中で飛び交うようにさせるには、何をすれば良いでしょうか?
私がオススメするのは「文章の音読」です。
日本語の文章、例えば「ショートストーリー」のような物語を、「声に出して読む」のです。
時間は、30分ほどまとめてやると良いように思います。
30分から60分ほど、ずっと日本語の文章を音読していくと、「普段自分が使わない言葉たち」を目にし、さらには「自分の口」から外に出すことになります。
大事なことは、「自分の口から出す」ということです。
「大量に読む」ということを目的とするならば「音読」よりも「黙読」の方が良いでしょうけれど、「頭の中の泥の中に沈んだ言葉を浮かび上がらせる」という目的であるならば、断然、「音読」の方が効果的です。
若者も、年配者も、「最近、頭の回転が遅くなったような気がする…」という人には特にオススメです。
一日30分、という時間を「音読」に当てることで、頭の中の泥の中に沈んでしまっている言葉たちを浮かび上がらせ、さらには「飛び交う」ようにさせることがきっとできます。
頭の中を飛び交う言葉の数が増えれば増えるほど、「考える」ということがやりやすくなるはずです。
物は試し、頭を鍛えるトレーニングの1つとして、是非やってみて頂ければと思います。
<続く>