「しきい値」というのは、前述したように「オン」と「オフ」が切り替わる値のことです。
例えば、空っぽのコーヒーカップがあったとします。
カップは透明ではなく、上からのぞき込まないと中が見えないとしましょう。
そこにコーヒーを注いでいくと、カップの中にコーヒーがどんどん溜まっていきますね。
しかし「横から」カップを眺めているだけだと、中にどれくらいのコーヒーが溜まっているのかは分かりません。
外から見て「あ、ここまで溜まった!」ということが見えるのは、カップの一番上までコーヒーが達し、カップの縁からコーヒーがあふれ出した時でしょう。
「外から見てわかる」か「外から見てもわからない」かの分岐点は、つまり「カップの一番上」ということになります。
「しきい値」というのは、ここでは「カップの一番上」のところまで達した分量ということになります。
しきい値を超えなければ「外から見てもわからない」のですが、しきい値を超えてしまえば「外から見てわかる」ようになります。
さて、これを英語学習にたとえてみましょう。
英語学習者の皆さんは、おそらく「単語」や「文法」や「発音」といったことを日々学習していることでしょう。
人が言語を自在に操ることができるようになるには、その言語に関する「しきい値」を超えなくてはなりません。
ここで言う「しきい値」というのは、「英語が無意識に扱えるか、扱えないか」の分岐点です。
例えば、「三単現」という文法用語があります。
これは「主語」が「三人称」で「単数」であり、かつ「話の内容」が「現在」である、という条件のことです。
この三単現の条件が揃っている場合、一般動詞の現在形は「原形の語尾に『-s』か『-es』がついた形」となります。
英語初学者は、このような一般動詞の変化を間違えます。
頭の中で「意識的」にその変化をさせようとしているからです。
ところが、頭の中で英語のしきい値が超えた人は、この形の変化を「ほとんど無意識」で行うことができます。間違いもほとんど発生しません。
言語を扱う上で、「無意識に扱えるかどうか」という点はとても重要です。
口頭で英語を話す際、頭の中で「文が出来てから話す」のではなく、「口から出た時には文が完成している」というようにならなくては、スムーズな会話は成立しません。
「口から出たときには文が完成している」ということは、三単現を含め、ほとんどの文法項目について「無意識に扱える」ということになります。
しきい値を超えるためには、「ずっとやり続ける」ということがとても重要です。
ある時期はやったけれど、途中で一旦やめてしまい、しばらくしてからまた再開する、ということを繰り返すうちは、なかなかしきい値まで到達しません。
「英文を作る」とか「正しい発音をする」といったアウトプットの行為を、「やめることなくずっと続ける」ということをしていくと、そのうち、しきい値に到達します。
そして、いったんしきい値を超えてしまえば、今度はそう簡単にしきい値の下のレベルには戻らなくなります。
これはまるで「球技」や「武道」といった運動と似ています。
同じ動作、同じフォームを繰り返すうちに、いつか「しきい値」を超えます。
そして「しきい値」を一旦超えれば、それより前のレベルには簡単には戻らなくなるのです。
なので、英語を身につけたいと日々奮闘している皆さん、是非、「しきい値を超えるまではやり続ける」という意識を持って取り組んでみてください。
大事なことは「アウトプットを繰り返す」ということであり、また、アウトプットをするためのお手本として「インプットを繰り返す」ということです。
もしも長年英語を学習しているにも関わらずしきい値を超えている感覚を持てないままだとしたならば、「やったりやらなかったりを繰り返している」という可能性が高いでしょう。
しきい値を超えるその日まで、1日も休まず、ずっとアウトプットを繰り返すという心構えがとても大事なのだと思います。