「教わらなくても答えが分かる力」というものは、言い換えるならば「法則を見抜く力」とも言えます。

目の前にある言葉や現象、あるいは状況などを観察して、そこに「何らかの法則がある」ということに気づくことができれば、その法則に当てはめて考え、自分だけの力で答えにたどり着くことができます。

もちろん、世の中の全てのことが「法則だけ」で答えを出せるはずはありません。

しかし、「法則」を見抜くことで、「答えを教わらなくても、答えが分かる」というケースはたくさんあります。

小学生、中学生、高校生などに英語を教えていると、「答えを知らなければ分からない」という考え方にとりつかれてしまっている学生が多いことに気づきます。

そういう学生達は、「与えられた答えを覚える」ということばかりに一生懸命で、「考えて自分で答えを出す」という練習をほとんどしません。

一方、「教わらなくても答えが分かる力」を持っている少数派の学生達は、「答えを覚える」ということに偏らず、「法則を見つけよう」として「考える力」を伸ばしていきます。

法則が見つかりさえすれば、「答えを覚える」などということをしなくても、楽に答えにたどり着くことができます。

しかし、法則を見つけようとせず、「与えられた答えを覚える」ということだけに一生懸命な学生は、「覚える」という行為自体に「途方もない時間をかけてしまいがち」です。

賢い学生があまり時間をかけずに良い成績を取ることができる理由の1つとして、「法則を見抜く力」を使い、「教わらなくても答えが分かる力」を活用していることが挙げられます。

法則を見つけ、「答えを自分で出す」というようにしていくためには、まず「周囲の人達」が、当の本人に簡単に答えを与えてはいけません。

周囲の人達、というのは、つまり、学校や塾ならば「教師達」、あるいは家庭ならば「親達」のことです。

学生達や子供達に「答え」を与えるのではなく、「法則を見つけるヒント」を与えるのです。

「法則を見つけるヒント」をうまく与えることができれば、学生達や子供達は、「教わらなくても答えが分かる力」をドンドン身につけていくことでしょう。

そのためには、教師達や親達自身が、「法則を見つける」ということを訓練していかなくてはなりません。

教師や親が「答えを教えた方が早い」と思ってしまえば、学生や子供の「法則を見つける力」を育てることはできません。

そして、学生や子供もまた、「答えを覚えた方が早い」という、一見効率が良さそうに見えて、実は途方もない時間を要するやり方に偏ってしまいます。

「教わらなくても答えが分かる力」というものは、何もせずに勝手に身につく力ではありません。これは周囲の人間が育ててやるものであり、同時に当事者自身が自分で育てていくものだろうと思います。