新型コロナウィルスは、「人から人」へ移ります。

そのルートは、以下の3つと言われています。
1. 感染者の飛沫が自分の顔につき、そこから自分の「口」や「鼻」や「目」の粘膜にウィルスが触れて感染する。(飛沫感染)
2. 感染者の飛沫がモノに付着し、そこに残ったウィルスを自分の「手」で触り、その手で自分の顔を触り、そこから自分の「口」や「鼻」や「目」の粘膜にウィルスが触れて感染する。(接触感染)
3. 感染者の飛沫が「密室」などの空間に放出され、飛沫の水分だけが蒸発した後も、ウィルスだけが空中を浮遊しているような状況において、自分がその空気を吸うことで(あるいは目の粘膜に触れることで)感染する。(空気感染)

このうち、「3」については、「部屋の換気をする」や「部屋の中の人の密集を避ける」といったことで予防することができますが、それ以前に、「感染者」も含め、部屋の中にいる人全員が「マスク」をしていれば「3」のような状況は生まれません。

「2」については、「手を洗う」や「手をアルコールで消毒する」ということをこまめに行っていれば予防が可能です。つまり、「自分の手」への意識を高めていけば良いわけですが、もしかしたら個人個人でこの意識の「高さ」が違っているのかもしれません。

「未知なるもの」に手で触れたら、その瞬間に「自分の手にウィルスが付着した」と徹底的に意識することができる人と、そのようなことを意識することができない人に分かれそうです。

普段から、トイレで用を足した後にも手を洗わなかったり、食事前に手を洗わなかったりする人もいるくらいです。

そのような人達の「行動意識」を高めるのは難しいことかもしれません。

また、「2」については、周りの人間からは「見えにくい」ところであり、そうであるが故に「指摘する」ことも難しいことだと言えます。

一方、「1」については、これは「2」と違い、周りの人間から「見えやすい」ものです。

つまり、「1」の飛沫感染を防ぐには、みんながみんな、「マスク」をすれば良いのです。

特に、「目の前(何メートルも離れていないような近距離)」に誰かがいて、その人に向かって「飛沫が飛ぶ」ようなことをする時には、絶対にマスクをしなくてはなりません。

「飛沫が飛ぶ」ようなこと、というのは、「話す」「咳をする」「くしゃみをする」「荒い呼吸をする」などです。

「会食」が問題視されているのは、このうちの「話す」の部分です。

食事をしながら、マスクをせずに、目の前の人に飛沫が飛ぶようにして「話す」という行為が、まずは、世の中全体の「マナー」や「モラル」といったものとして「絶対的にNG行為だ!」という共通認識が必要だろうと思います。

飛沫が飛ぶような行為さえしなければ、私の個人的な意見としては、「外に出る」のは良いし、「満員電車に乗る」のも良いと思います。

あるいは、「映画館で映画を見る」のも良いでしょうし、全員がマスクをしているならば「スポーツ観戦」だって問題ありません。

問題なのは「マスクをせずに、飛沫が跳ぶようなことをする」ということなのです。

従って、スポーツ大会を実施する上で問題となるのは、観客よりも、むしろ「競技者たち」の方です。

対戦相手との距離が十分にとれているのならば良いかもしれませんが、近距離で、お互いにマスクをつけていないならば「荒い呼吸」と共に飛沫が飛ぶことでしょう。

競技者の誰かが感染者だったならば、あっという間に「競技者たち」の間で感染が広がってしまいます。

また、「外食」ということで言えば、一人で入るような「牛丼屋」や「立ち食いそば屋」などもオーケーです。

食べた後の食器やテーブルを消毒する、ということは重要ですが、食べている最中に「話す」などの飛沫が飛ぶような行為をしなければ問題はないはずです。

「咳」や「くしゃみ」の症状がある人は、当然「マスク」をすべきですが、そうでなくても、「咳」や「くしゃみ」は突然出てしまうこともあります。

だから、基本的に外にいる時は、ずっと「マスク」をつけておくのが良いわけです。

外を歩いている時でも、人とすれ違うその瞬間に咳やくしゃみが出てしまうかもしれませんので、外で歩いている時もマスクをつけた方が良いと思います。

 

ここまで考えてみると、「政府が言っていること」や、「テレビで放送されていること」に対して、いくつもの疑問が湧き起こります。

「Go Toキャンペーン」を取りやめにするのはなぜでしょうか?

それは、「人が外出すれば、その分だけ感染のリスクが高まるから」です。

私も、それはその通りだと思いますが、しかし「外出=感染」という図式は成り立ちません。
感染対策をしていれば、「外出」することが直ちに「感染」につながったりはしません。

「外出」と「感染」の間に、直接的な「因果」が成立しないにも関わらず、「外出はNG」のようなことを主張するのはおかしいことです。その「おかしさ」に対して反抗的な感情を抱く人がいたとしても不思議ではありません。

「緊急事態宣言」により、「飲食店の午後8時以降の営業自粛」が求められていますが、これも、「因果」がよく見えません。

「午後8時」に時間を短縮したところで、それより前の時間帯であっても、「食事しながら、マスクもせずに飛沫が飛ぶようにして会話する」ということを許している時点で、感染拡大防止にはなりません。

さらに、緊急事態宣言が出ているにも関わらず、テレビで放送されているものとして、例えば「ドラマの作り方」などには違和感を覚えます。

ドラマだからと言って、役者と役者が近距離で、時には顔と顔がくっつきそうなくらい近くで、大声でセリフを言うような場面が、今もたくさん見られます。

このようなドラマを見ている視聴者達は、「飛沫が飛ぶ」ということを気にしないのでしょうか?

私は気にしますし、きっと他にも気にする人はたくさんいることでしょう。もしかしたら、役者たちの中にもそのことを気にしている人がたくさんいるかもしれません。

このようなドラマの場面を当たり前のように放送していると、それが「飛沫が飛ぶような行為をしても良い」というメッセージとなってしまう可能性があります。

ニュースなどで、キャスターが「マスク」をつけ始めたということが最近話題となりましたが、ニュースだけでなく、バラエティー番組でのスタジオ内、あるいは屋外でのロケなどでも、「近距離に人がいる」ような場合には、徹底的に全員が「マスク」を着用すべきです。

制作者側が「マスクを着用していてはドラマが作れない」ということを主張したいのであれば、そのような内容のドラマは当面見送るべきです。

ドラマなどの制作者達には、視聴者が喜ぶもの、元気になるもの、勇気づけられるものを作って届けたい、という思いがあるのでしょう。

しかし、ドラマであろうと、ニュースであろうと、バラエティーであろうと、テレビの中の世界で、全員が一斉に「マスク」を着用し、「事の重大さ」を伝える努力をすれば、そのことが一般の社会にも伝わるはずです。

コロナを本気で終息させたいならば、「外出してはいけません」とか「午後8時以降の飲食店の営業をやめてください」とか「旅行に行ってはいけません」といった「間接的な防止策」を大声で言うのではなく、「マスクをせずに、人に飛沫がかかるような行為は絶対にやめてください」「何かに触れたら必ず自分の手を洗い、消毒してください」といった「直接的な防止策」を大声で、かつ徹底的に何度も言うべきです。

マスクの種類が「不織布ではない」ということに突っ込みを入れる「市民警察」のような集団も、方向を変えて、上記のような「直接的な防止策」に対して目を向けるべきです。

「マスクをせずに会話をする」ということをしている人がいた場合には、居酒屋だろうとどこだろうと、その場にいる全員が「白い目」を向けるようにしていけば、コロナウィルスの感染拡大も収まっていくのではないでしょうか。

世の中全体が、そうした「マナー」や「モラル」を共有しながら2〜3ヵ月もすれば、仮にワクチンや治療薬に頼らなかったとしても、コロナの終息が見えてくるように思います。

本気でコロナを終わらせるためには、個人個人が「やってはいけないこと」と「やるべきこと」の明確な(かつ直接的な因果を伴った)線引きができるよう、国もメディアも、もっと賢く世間に働きかけるべきです。

 

<おしまい>