私の知る限り、一昔前(今から20〜30年近く前)までは、日本の出版社によるほとんどの英和辞典において、「fox」の発音記号は[fάks]であったように思います。

ところが、近年、[fάks]ではなく、[fά(ː)ks]あるいは[fάːks]という発音記号を採用する英和辞典が増えてきました。

一見似たように見えるかもしれませんが、[ː]という、長母音(長く伸ばされる母音)であることを示す記号がついているのです。

これは、『英語学習者への混乱』を招くことであり、一英語指導者として無視することができません。

どういうことか、以下、詳しく説明します。

 

[fάks]という発音記号の場合、この中に含まれる母音は[ɑ]となります。

[ɑ]という発音記号は、「ア」のように見えますが、実際には「オ」に近い音となります。

「オ」でありながら、日本語の「オ」より、少し「ア」が入ったような感じの音で、結局は「オ」に近い音、とするのがちょうど良いのではないかと私(久末)は思います。

これが使われる単語としては、「fox」の他に、「odd」「cop」「sob」「Tom」「not」などです。いずれも「o」の文字の部分は、「オ」に近い音で発するのが良いと思うのです。

ところが、「アメリカ人」がこれらを実際に発音するのを観察してみると、「オ」というよりも、むしろ「ア(あるいはアー)」に近い音になることがあります。

「fox」という単語ならば、日本人がカタカナで書くなら「フォックス」となりがちですが、アメリカ人の発音の仕方に合わせるならば、むしろ「ファックス(あるいはファークス)」ということになるわけです。

これを発音記号に反映させたものが、[fά(ː)ks]や[fάːks]といったものとなります。

[ɑː]という記号は、日本語の「アー」とほとんど同じ発音であると言って差し支えありません。

一方、[ː]がついていない[ɑ]は、前述の通り、「ア」というよりは、むしろ「オ」に近い音として認識すべきです。

つまり、[ɑ]と[ɑː]では、「オ」と「アー」のように区別され、両者は似たような記号であっても発音の仕方はだいぶ異なるということです。

発音記号で[fάːks]と書いてしまうと、それは完全に「ファークス」のようになります。

ふ〜む……
これで良いのでしょうか?

 

英語という言語は、もはやアメリカ人だけのものではありません。

当然、英語発祥の地であるイギリスの人々も英語を使いますし、カナダ、オーストラリアなどの「英語圏」の国の人達も当然英語を使います。

「英語圏の国」の他にも、世界には英語を日常的に使って生活している人々がたくさんいます。

つまり、「英語」というものは「アメリカ人」だけのものではなく、世界の多くの人々が日常的に使っている言語であるということです。

このことを無視して、「アメリカ人がこうだから」という理由だけで、日本人向けの英和辞典の発音記号の表記を「アメリカ向けのもの」にしてしまって良いのでしょうか?

「fox」の「o」の文字の部分にあたる発音を、「オ」ではなく「ア」や「アー」にしてしまって、本当に良いのでしょうか?

「fox」の最後の「ks」を無声音にする、ということはやるべきですが、出だしの音が「フォ」と「ファ(あるいはファー)」では、印象がだいぶ違ってきます。

実際に「アー」という音として、[ɑː]という発音記号が使われる単語の代表としては「father」や「calm」などがあります。

これらは、日本語のカタカナで「ファーザー」や「カーム」のように発音して構いません。

これらの単語では、[ɑː]という発音記号に対応している文字は「a」あるいは「al」です。

「a」の文字を「アー」と発音したり、「al」の文字を「al」と発音するのは良いのです。

しかし、「fox」の「o」を「アー」と発音するのは、やり過ぎです。

 

さらに言うならば、アメリカ人が「fox」を発音するときの「ア」あるいは「アー」の音と、日本人がカタカナで言う「ア」あるいは「アー」の音は、同じではありません。

おそらくアメリカ人であっても、全員が全員、「fox」と「father」の最初の音が「全く同じである」と認識しているわけではない、と私は考えています。

なぜなら「fo」と「fa」では、文字が異なるからです。

英語の発祥の国、イギリスでは、「fox」の「fo」と、「father」の「fa」は、当然違った音として認識されています。

どちらも同じ「ファー」で発音される、ということありません。

アメリカ英語は、歴史的にはイギリス英語から来たはずですが、時代が進むにつれて、独自の変化をしてきたようです。

発音においては、私の個人的な感覚としては、アメリカ英語はイギリス英語よりも、「くだけた音」になってきている、という印象です。

つまり、「fox」にしても、「hot」にしても、本当は「o」の文字の部分は「オ」だったはずなのに、それがくだけて「ア」の音が混ざってきた、ということです。

「元々はオだった」という認識があり、そこに「ア」の音が混ざり始め、次第にそれが勢いあまって「ア」の方に寄ってしまった、というのが現状のアメリカでの発音だろうと思います。

だから「fox」の「fo」の部分には、アメリカ人であっても「少しの遠慮」があって、完全に「ファー」ではなく、少し「オ」の音を入れて「ファ」のような音になっているのだろうと思うのです。

これに対し、「father」の「fa」の音は、そもそもイギリスでも「ファー」と発音されるので、そこには「オとアを混ぜた音」という認識はアメリカ人にもないことでしょう。

この話は、実際にアメリカ人(複数)に聞いてみる必要があると思いますので、近日中に調査してみます。

 

仮に、アメリカ人の多くが「fox」と発音する際の「fo」の音と、「father」と発音する際の「fa」の音が「同じである」と認識していたとしても、「世界のみんなに通じる英語」を意識するならば、我々は両者を区別しなくてはなりません。

冒頭でも述べた通り、日本の出版社が出している英和辞典などで、「fox」の発音記号を[fά(ː)ks]と記載しているケースが最近ではよく見られます。

しかし、[ɑ(ː)]という書き方は、[ɑ]となることもあれば、[ɑː]となることもあり、どちらでも良い、という意味として捉えられます。

[ɑː]としても良いということは、「fox」を「ファークス」と発音しても良い、という意味になってしまいます。

辞書の中には[ː]の記号をカッコの中に入れることさえなく、[fάːks]としてしまっているものもあり、これは私としては完全にアウトです。

発音記号上で、「アー」の音に相当する[ɑː]という発音記号を使ってしまうと、英語学習者(特に初学者)は、そのままそういうものだと認識してしまうことでしょう。

つまり、何も知らない英語学習者は、「fox」は「ファークス」であり、「hot」は「ハート」のようなカタカナで発音するようになってしまう、ということです。これは「世界のみんなに通じる発音」ではありません

「fox」は[fάks]であり、「hot」は[hάt]である、というように、「オ」に近い音として、[ɑ]という発音記号への認識を英語学習者に促すべきです。

その上で、「father」の発音記号[fάːðər]の中の[ɑː]の音とは区別すべきだと私は考えます。

これから英和辞典を新たに購入しようとする人には、「fox」の発音記号のところで[ɑ(ː)]や[ɑː]ではなく、[ɑ]が使われていることを確認してから購入することを強くオススメします。

<おしまい>