「かっこいい」という言葉があります。

これを「人の行い」に対して使う時、そこには「尊敬」や「憧れ」や「羨望」など様々なプラスの感情が込められると思います。

でも、言われた人にしてみれば、「かっこいい」と言われたことを実践している時は、実は自分の中では「地道な細かいこと」をやっていたり、人からどう思われたいとか思わずに「ただ真剣で必死」だったりして、自分自身で「かっこいい」とは思っていないことの方が多いのではないでしょうか。

私も人前で英語を話した時に「ネイティブのように英語が話せるなんてかっこいい」と言われることがあります。

「かっこいい」と言ってもらえるのは嬉しいのですが、自分にとってはやるべきことをさぼらず正しくやっているだけなので、自分で「かっこいい」だなんて思わないわけです。

ところが、「英語が話せたらかっこいい、だから自分も英語を習おう!」と思ってしまう人がけっこういるのです。

そういう人達に、私は声だかに言いたい!

「ネイティブのように英語を話せるようになる」のは容易なことではありませんよ、って。

そこへ到達するには、時間がかかるのは当然ですが、さらに「自分の意識」を改革しなくてはなりません。

例えば、今までの自分の常識による「ものの見方」をがらりと変える必要があったり、「言葉に対する意識」を母国語であっても見直したり、色々とやるべきことがあるのです。

そういう意識改革をした上でたくさん練習しなくてはなりません。

実際に英語を話すときには、自分の頭の中で「正しい文法にしたがった英文」を瞬間的に作ることになります。

「単語」自体もその場の状況にあったもの、聞いている相手のレベルを想像して、それにあったものを選ぶ必要があります。

そして、全ての「スペル」が頭で浮かんだ状態で、それを文字から音に変え「正しい発音」で発していくのです。

これらの一連のことを、瞬間的にコントロールしながら実践していく。

そういうことさぼらず正しく意識しながら「大量」に繰り返し練習していくのです。

これをやっている時、だいぶ慣れた私であっても「余裕」はありません。

常に一生懸命だし、「間違えないようにしよう」という意識もハンパ無く高く持っています。

そういう自分は「かっこいい」だなんて思っていません。

むしろ、地味で、細かくて、必死で、一生懸命で、間違えてしまわないか心配しているような「かっこ悪い自分」がいるのです。

ところが、自分の中できちんと整理してから発する努力をしているおかげで、きっと私の英語はネイティブが聞いても「わかりやすい」と感じられるのだろうと思うのです。

国際会議の会場で外国人と話す機会があっても、私が話す英語に対して「What?」と聞き返されることはありません。

なぜなら、私の中で「聞き返されることがないように話す努力」というものを必死でやっているからです。

どんなことであっても、「人からみたらかっこいい」と思われることを実践している人は、その人の中では「地味で細かい努力」をしているのだろうと思います。

英語を始めるきっかけとして「かっこいいから」という理由は悪くありません。

でも、「かっこいい」のその裏では、とても地味で細かい作業が必要になるんだよ、ということを忘れないで欲しいと思います。

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