以前どこかで、「秩序と混沌」について書いた記憶があります。

どこで書いたか忘れましたが、また最近、このことについて思うところがありましたので、「またか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、また書こうと思います。

人は、「秩序」の中にいると安心します。

逆に「混沌(こんとん)」の中にいると不安になります。

「秩序」というのは、集団を形成する「個」というものがきちんと整理された状態で並んでいて、全体が安定している状態のことです。

逆に「混沌」というのは、集団を形成する「個」というものがバラバラに並んでいたり、あるいはそれぞれが予測不能な動きをしていたりして、全体が不安定になっている状態のことです。

「秩序」が保たれるためには、ある程度の「エネルギー」が必要です。

ある集団が秩序を保っているとしたなら、それは、その集団が「自分の中」に持っているエネルギーを使って、秩序を維持しているのです。

ところが、秩序を保っている集団に向かって、「より強力な外部のエネルギー」がぶつかってきたとします。

そうすると、当然のことながら、その集団の秩序は壊れてしまいます。

秩序が壊れてしまうと、そこには「混沌」という状態が生まれます。

「混沌」とした状態は、「自分のエネルギーを奪われた状態」とも言えます。

従って、混沌とした状態の中にいる「個」は、喪失感や不安感を抱きます。

例えば、自然災害によって街が破壊された、ということを思い浮かべてみてください。

自然災害が発生する前の街には、それなりの「秩序」がありました。

ところが、その街が本来持っていたエネルギーよりも強大なエネルギーを持つ自然災害が、その街を襲います。

その街は、自然災害というエネルギーによって、「混沌」とした状態に陥ります。

そして、その街に住む住民(=個)は、喪失感や不安感を抱くのです。

「混沌」とした状態の中にいる「個」には、3つの選択肢が与えられます。

1.混沌とした状態となってしまったその「集団」から離れ、別のところへ移動する。

2.混沌とした状態となってしまったその「集団」の中に留まり、再び「秩序」を取り戻そうと努力する。

3.混沌とした状態となってしまったその「集団」の中に留まり、その「混沌」を受け入れながら、「秩序」を取り戻すことを諦める。

この3つのうち、「3」を選ぶケースというのは稀でしょう。

たいていは、「1」か「2」を選択すると思います。

「1」でも「2」でも、どちらもそれぞれの「事情」や「理由」があるでしょうから、どちらの方が良い、ということは一概に言えません。

しかし、「1」と「2」を比べてみると、「2」を選択した時には、「新たなエネルギー」が生まれるということが分かります。

「秩序」から「混沌」への変化は、いわば「エネルギーの消失」とも言えます。

ところが、逆に「混沌」から「秩序」への変化を実現させるには、その集団の中に「エネルギーの新たな生産」がなくてはなりません。

自然災害によって破壊された街に残り、その街を「秩序」へと向かわせようと決意した人達は、その前には決してなかった「エネルギー」を自分の意志によって生み出します。

この「エネルギー」があるからこそ、「混沌」とした状態が、再び「秩序」へと戻って行くのです。

私は、この話は「人の成長」にも通じるだろうと常々思っています。

例えば、英語がものすごく苦手な人がいたとします。

しかし、普通に日本で生活していれば、英語と自分との距離は遠く、自分の人生とはあまり関係のないところに「英語」というものをぼんやりと捉えているだけです。

この時点では、自分の人生そのものは特に混沌としてはいません。むしろ秩序のある安定した状態とも言えます。

ところが、何かしらの事情により、英語を勉強する必要性が出てきたとします。

そうすると、英語というものが自分の人生の中に入ってきます。

それまで秩序の状態だった自分の人生が、英語という侵入者によって乱されます。

そこで、この人には、3つの選択肢が与えられます。

1.英語というものを全く使わなくても良いような環境へ移動する。

2.英語を使わなくてはならないという環境に身を置き、その中で「秩序」へと向かうように努力する。

3.英語を使わなくてはならないという環境に身を置き、その中で「全く分からない」という混沌とした状態を受け入れ、我慢し、諦める。

この中で、その人自身が「エネルギー」を生むことが出来るのは、「2」を選択した時だけです。

そして、皮肉なことに、「英語」という侵入者によって「混沌」とした状態になる前、つまりは「秩序」があったような状態の時には、「エネルギー」は生まれてこないのです。

人が何かを身につけようとしたり、自分自身を高めようとしたりする時には、必ず「混沌」の状態というものがあるのです。

平和で秩序のある状態の時には、人はエネルギーを生み出したりしません。

「秩序を守るための最低限のエネルギー」を維持しているだけです。

しかし、「新たなエネルギー」が生まれなければ、何かを身につけたり、自分自身を高めたりすることはできません。

ということは、「混沌」とした状態になった時というのは、「新たなエネルギー」を生み出すチャンスとも言えます。

私達は、「混沌」とした状態を好みませんが、そういう状態を好まないからこそ「なんとかしよう」というエネルギーが新たにわいてくるのです。

そのためには、上記の「2」のように、「混沌とした状態に身を置き、その中で秩序に向かう努力をする」ということが大事なのですね。

少し長くなりましたが、もう少し書きたいことがありますので、続きはまた次回へ!

つづく