日々、人に英語を教えていると、色々なことを感じます。
最近感じたことは、何かにつけて「面倒くさい」ということを口にしている人は決して「成長しない」ということです。
逆に、人が「面倒くさい」と思ってしまうようなことを真面目にやる人ほど、そのことに関して成長していきます。
例えば、英語の「L」の発音がうまくいかない人がいたとします。
発音練習というものは、正しいやり方を知っていて、自分の耳による適切な(正しいか否かの)ジャッジメントができれば、「いつでもどこでも」できるものです。
しかし「練習する必要がある」ということは、たいてい「今の時点ではうまくいかない」ということでもあります。
そして「今の時点ではうまくいかない」ということをやろうとするのは、「とても面倒くさいこと」でもあるのです。
いつでもどこでもやれるはずの発音練習ですが、「面倒くさい」という思いに負けてしまうと、一度もやらずに一日を終えることもできてしまいます。
逆に、この「面倒くさい」という思いに負けず、「でも、やろう!」と自分を奮い立たせることができる人は、「一日に一度も練習しない」ということにはなりません。
「面倒くさいなぁ、今日くらい、1回くらい、さぼってもいいかなぁ、いいよね、うん、やめよう」
こんな調子で時間だけが過ぎていくと、気がつけば「Lの発音がずっとできないまま」ということになってしまいます。
「L」の発音ができるようになった人は、「面倒くさい」という思いを振り払い、自分自身を「練習」に向かわせることに成功した人と言えるのです。
これは発音だけの話ではありません。
勉強でも、仕事でも、スポーツでも、音楽でも、趣味でも、何でも、
「できるようになった人」を観察してみれば、必ず「人が面倒くさいと思うこと」をきっちりこなしていることが分かります。
「面倒くさい」という言葉を乗り越えた先にこそ、そのことに関する「成長」の入り口が存在するのです。
ようするに、「面倒くさい」という言葉は「成長の敵」なのですね。
自分を「成長」から遠ざけてしまう、悪魔のささやきなのです。
もし自分が何かを身につけようと願うならば、この「面倒くさい」という言葉が出たときに、「悪魔よ、去れ!」と自分に言い聞かせることです。
そうやって「面倒くさい」を克服し、成長の入り口を見つけられた人は、いつしか同じことをしても「面倒くさい」と思わなくなるものなんです。