本校に通っている生徒の皆さん、そしてこれまでに本校に通っていた元生徒の皆さん。
それぞれに「英語を学ぶ理由」というものがある(あった)ようです。
どんな理由があって英語を学ぼうとするのかは個人個人の自由ですから、教師が口を出すべき話ではないかもしれませんね。
私(久末)は英語を学ぼうとすること自体がとても有意義なことと思いますので、どんな理由であっても良いと思います。
ですが、「どのような英語を学ぶべきか?」という指標だけは、教師がきちんと示すべきだろうと思います。
教師自ら、実際に世界とコミュニケーションを取っているならば、英語を学ぶ上で何が重要で、何が重要でないかの区別が明確となります。
「どのような英語を学ぶべきか?」という自問を常にしている教師は、「どのような英語を教えるべきか?」ということを明確にしているはずです。
逆に言えば、世界の人々と実際にコミュニケーションを取ろうとしない教師は、「何が重要で、何が重要でないか」の区別が曖昧なまま、ただテキストに書かれたことを教えているに過ぎません。
英語を誰かに習おうとするならば、自分に英語を教えてくれようとしているその人(=教師)が、どれだけ世界の人々とコミュニケーションを図っているのかを鋭い目で見抜くべきです。
そして、学習者自身もまた、常に「どのような英語を身につけるべきか?」ということを自問しながら、世界の人々とコミュニケーションを図る場を探すと良いでしょう。
「英語を学ぶ理由」は自由で良い。
しかし、「どのような英語を学ぶべきか?」ということは、教師も生徒も、常に問い続けるべきです。
<おしまい>
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