昨日、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」のDVDを観ました。
(先日、生徒から借りたのです。)
この映画が公開時された時、私は映画館でも観たので、これが2回目です。
私は特に彼の熱烈なファンというわけではありませんが、それでもこの映画を観ると、彼のことを「すごい人」だと感じずにはいられません。
この映画はリハーサルシーンがほとんどです。
そのあちこちに彼の「音に対する意識」の高さが窺えます。
なるべく「CD」に近い音を再現しようと、とてつもない細かさで指示を出したりしているのです。
「音」だけではありません。
彼のダンスには、素人の私も目を奪われました。ダンスをやっている人なら、もっと釘付けかもしれませんね。
音に対しても、ダンスに対しても、1つ1つがとても「細かい」のです。
きめ細やかなコントロールをして、それを完成させていこうという意欲がヒシヒシと伝わってきます。
それは要するに「観てくれる人達」のことを考えているということなのだろうと思います。
自分のパフォーマンスを、人が観たり聞いたりした時に「心地良い」と思ってくれるかどうか。
そういうことに大変な意識を持って取り組んでいるのです。
私は日頃から英語を教えていますが、生徒達には「相手が分かるように発音しましょう」「相手が分かるように文を作りましょう」と言い続けています。
「分かり易い発音」とは、「相手のことを考えている発音」のことです。
「分かり易い文」とは、「相手のことを考えている文」のことです。
そして、相手のことを考えて、自分の側では「細かいこと」「緻密(ちみつ)なこと」「理論的なこと」「面倒くさいこと」などを様々な観点から考え、実行していくのです。
観点の数が多くなればなるほど、そして細かさや緻密さに対する意識が高ければ高いほど、相手にとっては「分かり易い」というものになるのだろうと思います。
マイケルの舞台は、まさに「相手(=観客)」のことを考える舞台でした。
相手のことを考えて、細かくて、緻密で、理論的で、そして端から見たら面倒くさいと思われることを実践していました。
そういう努力によって作られたものだからこそ、音楽にもダンスにも無知な私でも感動してしまうのだろうと思います。
人に何かを伝えるには、自分の側の緻密な努力と実践が必要なのだということなんですね。
<おしまい>
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