今日も引き続き「現実逃避をどうにかしよう」というテーマでお送りします。
前回(昨日)は、現実逃避を克服するための手段として、「足を運ぶ」とは別に、「人に自分を見せる」という方法をご紹介しました。
しかし、「人に自分を見せる」には、人によってはかなりの勇気が必要です。
なぜなら、「自分を見せる」と言っても、それは「自分の『弱い部分』を見せる」ということだからです。
そもそも、自分の「弱い部分」を人に見せることが簡単にできるならば、現実逃避などしていなかったかもしれないのです。
人に自分を見せることが解決につながると言われても、「恥ずかしい」とか「見られるのはイヤだ」とか、何かしらの「負の感情」が邪魔をして、なかなか自分を見せることができない人も多いのではないでしょうか。
この「負の感情」の元になっているものは、一体なんでしょうか?
このことについて、私はずっと昔から考えているのですが、行き着く先は、たいてい1つの言葉です。
それは、「プライド」です。
「プライド」というものがあるために、「人に自分の『弱い部分』を見せる」ということができないのです。
かつて、私がアメリカに留学していた時もそうでした。
渡米して3ヵ月目の頃、私は、ひどく疲れていました。
なかなか通じない自分の英語力にイライラし、次第に、誰とも話をしないようになってしまいました。
今でいう「うつ」に近い感じになっていたのです。
学校に行っても誰とも話をせず、ホストファミリーとも積極的に話そうとせず、ただ「英語はもうイヤだ」とふさぎ込んでしまっていました。
ノートに落書きをしたり、日本語の本を読んだりしていました。
完全に「現実逃避」です。
この時、周囲の人(アメリカ人)たちが、私に優しく声を掛けてくれました。
「どうしたの?」「元気ないね?」「ホームシックかい?」
しかし、この時の私は、自分がどうしてそんな状態になっているか、誰にも説明できずにいました。
「本当は、3ヵ月目に入っても英語が分からないことだらけなんだ。
だけど、分からない時に『分からない』って正直に言うのが怖いんだ。
だって、そんな事を言ったら、みんな自分のことを『3ヵ月もいるのに、馬鹿なヤツだ』っていう目で見るに違いないから。」
こんなことを自分の中で思いながら、ずっと、自分の殻の中に閉じこもってしまっていたのです。
「自分の弱い部分を人に見せる」ということを、自分の「プライド」が許さなかったのです。
しかし、あのまま人に「本当は分からないから助けて欲しい」という一言が言えないままだったならば、私はずっと苦しんでいたことでしょう。
どうしたら良いか困り果てたあげく、結局私がやったことは、「分からない時に、『分からない』って思い切って言ってしまおう」ということだったのです。
つまり、自分の「プライド」を自分で崩したのです。
言葉で書くと、すごく簡単に見えますが、当時の私にとって、このことはとっても難しく、とっても勇気の要ることでした。
今の私なら簡単に「分からないって言えばいいのに」と思ってしまいますが、当時の私には、そのことはすごく難しいことだったのです。
だから、「プライド」が邪魔をして、なかなか「人に自分の『弱い部分』を見せる」ということができない人の気持ちはよく分かります。
ですが、そういう傾向のある人ほど、「現実逃避」をしたり、精神的な疾患にかかったりしてしまうのではないかと思います。
重度の現実逃避をしてしまっている人は、本当に、勇気を持って、自分の「プライド」を自分で崩していく必要があるのです。
人に自分の「弱い部分」を見せたからと言って、自分という人間に対する尊厳が損なわれるわけでは、決してないのです。
このブログは、いろんな人が読んで下さることと思いますが、中には、精神的な疾患にかかっている人や、重度の現実逃避から抜け出せない人もいるのではないでしょうか。
そういう人が読んで下さることを想定して、改めて強く言わせて頂きます。
「自分だけで解決しようとせず、自分の『弱い部分』を人に見せる」ということを、是非やってみて頂きたいと思います。
そうすれば、自分だけでは解決の糸口すら見えなかった状況から、少なくとも一歩は前に進むことができるはずです。
<終わり>