前回(昨日)からの続き)

★ ダイレクトに覚える力(記憶力)に優れたA君。
★ 情報をつなげていく力(思考力)に優れたB君。

どちらも優秀な人材になる可能性は大いにありますが、その活躍の方向や幅の広さは全く異なるでしょう。

A君は、知っている情報さえあればスピーディーに答えることができますが、答えを知らない問題に答えることは苦手です。

B君は、答えを知らなくても、今持っている情報からつなげたり、想像したりして何とか答えを出すことが得意ですが、A君のようなスピードはありません。

スピード重視ならA君に軍配が上がりそうですが、果たしてそうでしょうか。

社会に出れば、いや人生を生きていれば、誰だって「答えを誰も知らない問題」にぶつかります。

・自分は、この高校(あるいは大学)に進んで本当に良いのだろうか?

・自分は、この会社に入って本当に良いのだろうか?

・自分は、今ここで仕事を辞めてしまって、本当に良いのだろうか?

・自分は、この人と付き合っていて、本当に良いのだろうか?

・自分は、この人と別れてしまって、本当に良いのだろうか?

・自分は、この人と結婚してしまって、本当に良いのだろうか?

・自分は、ここにいて本当に良いのだろうか?

このように、人は、生きていれば誰だって必ず、「答えを誰も知らない」という問題にぶつかるはずです。

こういう問題に直面した時に、「答えを知っている」という第三者がいて、さらにその人が「こうしなさい」「ああしなさい」と答えを教えてくれるなどということはありません。

もし仮にそういうことを言ってくる人間がいたとしたなら、それは「答えを知っていて教えてくれている」のではなく、「きっとそうだろう」という、その人の主観的な価値を自分に伝えようとしているに過ぎないと受け止めるべきです。

未来を100%当てることは誰にもできません。

明日の相場が高くなるか安くなるかを100%当てられる人が存在し得ないのと同じように、誰も、未来を100%当てることなどできないのです。

また、同じような経験をしたことのある人が「必ずこうなる」と確信して予測してくる場合もありますが、その人が経験したのは、今の自分が問題を抱えているのとは異なる時代だったり、異なる状況だったり、異なる条件だったりする場合がほとんどですし、何より、その人が自分とは「別の人間」である以上、その人が経験したのと同じ結果になるとは決して言い切れないはずです。

ところが、ここで「素直」な人は、他人が自分に与えてくれる「助言」(そう、あくまで「助言」)を、まるで「正しい答え」であるかのように受け止めてしまう場合があります。

そういう「助言」というものは、たいてい、「親」「教師」「上司」「先輩」など、自分より経験や知識があると感じたり、自分より能力が高いと感じる人からのものです。

「素直」な人は、こういう人達に対する抵抗力が非常に弱く、自分の考えや意見よりも、与えられた「助言」をそのまま受け止めてしまいがちです。

特に、小さい頃から「素直な良い子」だった人はこの傾向が強いように思われます。

こうした「素直な良い子」は、大人から見れば非常に好感が持てますが、どうやって出来上がっていくのでしょうか。

これに関してはまた次回に。

続く