私はよく生徒に「英語は理屈だ!」と力説します。

それと同時に、「英語はカンだ!」とも力説します(笑)

どちらも大事で、どちらも正しいと思うのです。

両方の考え方を自分の中に持っておくのは「矛盾だ」と言って嫌う人もいるかもしれません。

ですが、私の知る限り、「矛盾を自分の中に取り込んでいる人」の方が何事も成長が早いように思うのです。

で、「英語はカンだ!」というのはどういうことかと言いますと、まさに文字通り、その意味のままです。

どんなにたくさん単語の勉強をしても、映画をみたり、新聞を読んだり、本を読んだり、英語の試験を受けたりすれば、「必ず知らない単語」にぶち当たります。

全ての単語を完全に把握でき、しかも「音」で聞いてその「スペル」が即座に頭に浮かぶ、などということはほとんど不可能です。

どうやっても、知らない単語というのは出てくるものなのです。

そこで「カン」の出番です。

見たこともない単語が出てきても、文脈やその場の雰囲気から、「きっとこんな意味だろう」と当ててみせる。

もちろん「カン」は「カン」ですから、自分の中の根拠なんてものはありません。

ところが、自分の中に根拠がないと言いつつも、「カン」を使って対処していくということを繰り返していくうちに、次第に「カンの精度」というものが高まっていくのではないかと思うのです。

アメリカで生活したことがある人ならば分かると思いますが、「カン」を使わずに、外国人である私たち日本人が英語で生活を送っていくのはとても無理です。

イヤでも「カン」を使わざるを得ないのです。

見たこともない単語。
聞いたこともない単語。

それでも、「きっとこうだろう」と想像する。

頭でっかちで、「カン」とか「想像」とかを嫌って、「理屈だけ」で英語を勉強していこうとしている人は、いつまでも「知らない単語は知らない」というところで止まってしまいます。

「知らない単語だけど分かる」。
「見たこともない単語だけど意味を当てられる」。

人間には誰にでもこういう能力が備わっているはずだと私は思います。

そして、そういう能力がある、と認識した上でその力を伸ばす練習をしていけば、かなりの精度までカンというものを高められるのです。

もちろん、「英語は理屈だ!」という考え方をゼロにしてしまうのも問題です。

「英語は理屈だ!」と思って英語を勉強し続けてきて、それでも英語がなかなかできるようにならないのならば、もしかしたら、「英語はカンだ!」という考え方を持つことができない自分自身の「偏り」が原因なのかもしれません。

「理屈」でなかなか伸びなければ「カン」とか「想像力」をもっと取り入れるべきですし、逆に「カン」とか「想像力」ばっかりで伸び悩んでいる人は、もうちっと「理屈」を取り入れてみるのが良いのではないでしょうか。

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