私(久末)は子供の頃、「勉強」というものはどうやってやれば良いのか分かりませんでした。

よく、学校の先生が生徒に向かって「勉強しなさい」と言います。

あるいは、親も子供に向かって同じことを言います。

「学校の宿題をやりなさい」というのならば分かります。

しかし、「勉強しなさい」と言われると、何をどうして良いのか分からなかったのです。

ドラえもんに出てくる静ちゃんは、「宿題」をやっているのか、それとも「勉強」をしているのか、とにかく、「机に向かい、ノートを広げ、何かを書く」ということをしています。

「あれは一体、何を書いているのだろう?」と、子供の頃の私は不思議でたまりませんでした。

 

<アメブロの続きはここから>

 

小学校時代、中学校時代、高校時代と、私は「勉強のやり方」というものを誰にも習わずに過ごしました。

その結果、恐らく多くの人がそうであるように、私は「自分流の勉強のやり方」をなんとなく実践していました。

今にして思えば、「まったく理に適っていないやり方」をしていたような気がします。

もっとよく考えて「勉強のやり方」を決めていけば良かったのに、と思えて残念でなりません。

では、「勉強のやり方」というのは、どうやって決めていけば良いのでしょうか?

 

まず思うのは、「ノートを広げて何かを書く」というスタイルが必ずしも勉強のスタイルではない、ということです。

そもそも「勉強」の目的とは何でしょうか?

大学受験生ならば、より多くの試験問題に答えることができるようになることが目的でしょう。

中学生や高校生ならば、定期試験(中間試験や期末試験)で良い点を取れるようになることが目的でしょう。

大人であっても、資格試験の合格を目指すということが目的となります。

つまり、一番分かりやすいのは「試験で良い点を取ることができるようになる」ために「勉強」をするわけです。

ところが、そこに「落とし穴」があるようにも思えるのです。

 

「試験に合格する」とか「試験で高得点を取る」とか、そういったことができるためには、「試験に対応した勉強」をすれば良いということになります。

しかし、本当の目的はそこにあるのでしょうか?

本当は、「試験」は単なる通過点に過ぎないのではないでしょうか?

例えば、車の免許を取るためには、試験に合格しなくてはなりません。

しかし、試験に合格しさえすれば良いのかと言えば、そうではありません。

試験に合格した後で、「実際に自分で車を運転し、事故などを起こさないようにしつつ、車をうまく使えるようになること」が勉強する本当の目的ではないでしょうか。

そう考えると、「試験に合格する」を目標にした勉強では、少し「足りない」ように思うのです。

「試験の先」を見据えた勉強を、最初からすべきではないでしょうか。

これは、どの勉強にもあてはまります。

 

「何を最終目標にするのか?」という点が曖昧だと、きっと「勉強のやり方」もハッキリしません。

「試験」というものを最終ゴールにするということ自体は悪いことだとは思いません。

しかし、前述した「車の運転」のように、「試験」というものが単なる「通過点」に過ぎないケースも多々あるように思うのです。

「試験」を利用して勉強し、「試験」が終わった後でその先の世界につなげていく、ということがイメージできれば、きっと「勉強のやり方」も変わってくることでしょう。

 

勉強のやり方を示すことなく、ただ「勉強しなさい」と子供に言う親は、一体、どこに目標を置いているのでしょうか?

「ノートを広げて、とにかく何かを書く」というスタイルで子供に勉強させるのはやめましょう。

「何を目標にして、何ができるようになりたいのか?」ということを問いかけながら、それに合わせて「勉強のやり方」を子供と一緒に探していく。

そんな大人で有り続けたいと思います。

 

<おしまい>