「英語ができる」という基準は人によって異なります。
「英文を読んで解釈することができる」ならば、もう「英語ができる」と判断する人もいます。
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「読んで理解する」というのは、いわば「インプット」の行為です。
「インプットができるようになった」と言って喜んでいるうちは、本当にはその力が「身についた」と証明することはできません。
例えば、「難しい漢字が読めるようになった」からと言って、その字が「書けるようになった」とは限りません。
「薔薇」という字を読めるけれど書けないという人は多いでしょう。
しかし、「読める」と自分で思っていても、「薔薇」という字のどこか一画が抜けているような字を見たときに、その間違った字を「ばら」と読んでしまう可能性は大いにあります。
もしも間違った「薔薇」という字を「ばら」と読んでしまったならば、その人は本当に「薔薇」という字を読めるということにはなりません。
なぜなら「薔薇」ではない字を「ばら」と読んでしまったのですから。
間違った「薔薇」の字を「これは”ばら”ではない」と指摘することができるのは、「薔薇」という字を「書く」ことができる人です。
「書く」という行為は「アウトプット」の行為です。
つまり、「アウトプット」ができるようになってはじめて、「そのことが身についた」と証明することができるのです。
英語も同じです。
「英文を解釈することができる」という「インプット」の行為ができるからと言って、本当に「英語が身についた」とは言えません。
本当に「英語が身についた」と言えるのは、英文を「解釈」できるようになった時ではなく、「英文を作ることができる」ようになった時です。
そういう意味で、英語を身につけていきたいならば、「英作文」という行為をたくさん行わなくてはなりません。
ところが、今の学校教育では、英語の授業の中で「英作文」というものをあまり指導しません。
「英作文」を指導するには、教師達自身が「英作文」ができなくてはなりません。
おそらく、教師一人一人の英語力に大きな差があるため、一律同じように英作文の指導をしていくことが難しいのでしょう。
ですが、「英作文」を指導できないうちは、生徒たちに英語を身につけさせることなどできません。
「英語ができる」ということは「英文を作る」ということ。
英語を学ぼうとする人も、英語を教えようとする人も、このことを忘れてはならないのです。
本校では、一人一人に個別で「英作文」の指導を行っています。
「英作文の能力」に加え、「発音のテクニック」があれば、もう「英会話」は自由自在です。
「英作文+発音」の両方をバランスよく学んでいきたいと思う人は、是非本校の「無料説明会」にお申し込みください。
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