本校では、現在、小学5年生から大人まで、幅広い年齢層の方々にレッスンを行っています。
個人個人には「能力差」というものがありますが、「英語」という外国語を身につけていく際、そうした個人の能力というものが大きく影響してきます。
その中でも、最近、私(久末)が特に着目しているのは「理解力」と「表現力」の2つです。
英語を「言語」として捉えるならば、「理解力」と「表現力」の2つは欠かすことのできない能力と言えます。
そして、この2つの能力を高めるのに大いに役に立つのが「読書」というものです。
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子供でも、大人でも、日頃からたくさん「読書」をしている人は、そうでない人に比べ、「理解力」と「表現力」が何倍も高いように感じられます。
「理解力」と「表現力」が高ければ、難しい文法も理解していくことができますし、理解した文法を使って英文を作っていくことも簡単にできます。
また、「発音の指導」においてさえ、「理解力」が高い人ほど、どうすれば発音が良くなるのか、ということをきちんと理解した上で練習することができます。
一方、「理解力」と「表現力」がさほど高くない人は、文法書などに書かれている内容がいかに易しい表現であったとしても、それを自分の中に取り込むようにして理解することができません。
「理解する」ということができないため、「無理やり記憶する」という手段に自然と流れてしまいます。
「記憶する」のと「理解する」のは全然違います。
文を作るための法則や、発音を美しくするための理論は「覚える」というよりも「理解する」ことの方が大事です。
しかし、「理解」をせず、「無理やり記憶する」という学習法に偏っている人は、いくら時間をかけて努力しても、なかなか自分のものにしていくことができないのです。
「理解力」と「表現力」が高い人に、「普段、読書をしていますか?」と尋ねると、たいていの人は「はい」と答えます。
逆に、「理解力」と「表現力」が乏しい人に同じ質問をすると、決まって「ほとんど読みません」という答えが返ってきます。
一概に「読書だけ」が原因とは言い切れません。
しかし、「読書量」と「理解力&表現力」というものは、概ね比例すると考えて差し支えがないように思います。
さらに言えば、「読書」というのは「文を読む」というインプットの行為ですが、その反対のアウトプットの行為として「文を書く」ということをたくさんしている人は、またさらにひと味違います。
「文を書く」ということをたくさんしている人は、「文を読む」ということをしているだけの人に比べ、さらに高い「理解力」と「表現力」を持つ傾向があるようです。
インプットの行為よりも、アウトプットの行為の方が難しいと考えるならば、これは当たり前のことかもしれません。
いずれにせよ、「理解力」と「表現力」を高めていかないことには、外国語どころの話ではありません。
日常生活において、学生なら「勉強」を、社会人ならば「仕事」をこなしていくためには、「理解力」と「表現力」は必要不可欠な能力と言えます。
これらの能力を高める最初の入口として、「読書」は非常に有効な手段です。
ジャンルは何でも構いません。
フィクションでもノンフィクションでも構いません。
片っ端から本を読みあさるようにしていけば、おのずと「理解力」と「表現力」も高まります。
普段から読書をしない人、あるいはこれまでの人生で読書をあまりしてこなかった人は、是非お試しあれ。
<おしまい>