英語を学習するには、色々な理由があると思います。
仕事で必要だから。
学校の試験で出るから。
大学受験で必要だから。
就職などで有利だから。
こうした直接的な理由があるから英語学習をするという人も多いことでしょう。
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かつて、「スラムダンク」という漫画がありました。私の大好きな漫画です。
原作は井上雄彦さんで、高校生のバスケットボールを描いた作品でした。
この中で、主人公の桜木花道が言った名ゼリフがあります。
柔道部の主将に「柔道をやろう」と誘われながらも、桜木花道がかたくなにそれを拒む場面です。
「俺はバスケットをやる。バスケットマンだからだ。」
これをこっそり聞いていたバスケ部のキャプテンは、密かに感動しました。
私(久末)も感動しました。
人が何かをするのに、直接的な理由などなくても良いのではないかという気持ちになりました。
英語を学ぼうとするのも、もしかしたら同じかもしれません。
「私は英語を勉強する。なぜなら、英語学習者だからだ。」
私は英語を教える立場ではありますが、同時に一人の「英語学習者」でもあります。
英語学習者である人は、そうでない人がやらないことをやります。
その理由は、「英語学習者だから」です。
単語を覚えよう。
英文を読んでみよう。
辞書を持ち歩いてみよう。
英語でドラマや映画を見てみよう。
英語圏の国に出かけてみよう。
英文法を学んでみよう。
英文を書いてみよう。
英語の発音を練習してみよう。
こういうことをするのが英語学習者です。
私は、これから英語学習者になろうという人を歓迎します。
既に英語学習者である人も、同じ仲間として尊敬します。
英語学習者は、英語学習者だから、そうでない人がやらないことをやります。
私は英語学習者であることを誇りに思います。
きっと、バスケットマン桜木花道も、バスケットマンであることを誇りに思っていたのでないでしょうか。
自分が何者であるかを自問して、「自分は○○だ」と誇りをもって言えた時、直接的な理由が仮になかったとしても、人は何かを行動するのだろうと思います。