長年、人に英語を教えていると見えてくるものがあります。
それは「できる人はここが違う」ということです。
これまでも何度かこのブログで「できる人」についての考察を書いてきましたが、改めてそのことについて考えてみようと思います。
<アメブロからの続きはここから>
「できる人」ときくと、「生まれつき頭が良い人」なのだろう、と想像してしまうかもしれません。
しかし、「できる人」は必ずしも「生まれつき頭が良い人」であるとは限りません。
もちろん、生まれつき頭が良い人もいることでしょう。
しかし、どんなに頭が良い人であっても、そのことを自覚し、自分の頭を使い続けていかなければ、せっかくの頭の良さも活かされません。
「頭」というものは、使えば使うほど鍛えられていくものです。
それは「身体」と同じようなものです。
生まれつき「頑丈な身体」で生まれてくる人もいれば、生まれつき「弱い身体」で生まれてくる人もいることでしょう。
しかし、生まれつき弱い身体で生まれたとしても、「鍛えられる部分はどんどん鍛えよう」という意識をもって取り組めば、次第に強い身体に変わっていくはずです。
これと同じで、「頭」も鍛えようとすれば、健康な人ならばどんどん鍛えていくことができるのです。
仕事や勉強が「できる人」は、一言で言えば「頭が良い」ということになります。
ところが、「頭が良い」という表現は、人によって定義が異なります。
「頭が良い」の定義として、「記憶力が良い」とか「計算が速い」ということを挙げる人は多いでしょう。
しかし、「できる人」は、単に「記憶力がよい」や「計算が速い」という意味で頭が良いというわけではなさそうです。
私なりに思う表現を使うならば、「頭が良い」の定義の1つは「普通には見えない部分を見る能力が高い」ということです。
「見えない部分を見る」というのは、例えば次のようなことです。
・言葉なしで他人が考えていることを理解する。
・言葉なしで他人が求めていることを知る。
・言葉なしで他人が見ているものを見る。
・これから起きる未来のことをあてる。
・ある2つ(あるいは3つ以上)の出来事の間に存在するであろう法則を見つける。
・見落とされがちな問題をいち早く発見する。
・なかなか気づかれないような解決法をいち早く発見する。
程度にもよりますが、こういうことは誰でも「不可能」なことではありません。
「低い精度」や「低い難度」であれば、たいてい誰にでもできることです。
しかし、「頭の良い人」は、上記のことを行う際の「精度」や「難度」が、平均値よりもずっと高いのです。
普通の人には見えないことでも、頭の良い人はそれを見ることができます。
普通には見えないことを見る能力が高いは、仕事でも勉強でも、比較的短い時間で、より高い成果を残します。
逆に、普通に見えない部分が「見えないまま」の人は、いくら一生懸命努力しても、成果を残すまでに長い時間がかかってしまいます。
健康な人ならば、誰にでも「思考力」というものがあります。
「思考力」を使えば、普通には見えないことも見えてきます。
思考力は、「使おう」と思えば使えます。
普通には見えないことも、「見よう」と思えば見えてくるのです。
「できる人」は、おそらく共通して「自分には思考力がある」ということを自覚しています。
そして、普通には見えないことを「見よう」という努力をしているはずなのです。
要は、「生まれつきの能力」ではなく、「自分の能力を自覚し、それを使おうとするかどうか」ということが「できる人」と「そうでない人」を分けるのだろうと思います。
できる人になりたいならば、まずは、自分の「思考力」を自覚し、それを使って「見えないものを見よう」と努力することです。
さて、「できる人はここが違う」というポイントは、他にもあります。
今日は長くなりましたので、続きはまた次回!
どうぞお楽しみに。