教育者だけでなく、「親」もまた然り。
我が子に寄り添い過ぎていたり、あるいは守ろうとし過ぎている人は意外に多くいるのではないでしょうか。
私が子供だった頃(今から30〜40年も前)は、感覚的にですが、大人達は今よりももっと「理不尽」なことを子供達に言っていたような気がします。今の大人達の方がよっぽど「物わかりが良い」と思います。
物わかりが良くて、子供に寄り添い、そして子供を守ろうとする大人達。
ふむ、これだけを読むと、今の大人達はとても素晴らしいと感じられるかもしれません。
しかし、子供というものは、本当は「理不尽なこと」や「納得のいかないこと」を数多く経験すべきだろうと思います。
子供に寄り添い、子供を守ろうとする大人ほど、子供にとって理不尽なことは言いませんし、子供が納得するまできちんと話そうとすることでしょう。
ところが、「理不尽なこと」や「納得のいかないこと」をたくさん経験していかなければ、そうしたことをどのように「処理すれば良いか」を学ぶ機会も減ってしまいます。
子供はいつか大人になります。いや、大人になって行かなくてはならないのです。
そして、大人になったときには、「理不尽なこと」や「納得のいかないこと」が世の中にあふれていることに気づくでしょう。
子供の頃から「理不尽なこと」や「納得のいかないこと」を数多く経験していれば、そうしたことへの対処もうまくなることでしょう。
しかし、そういう経験が少ない子供は、大人になってから大変な目に遭うかもしれないのです。
いえ、別に、無理矢理、子供達に理不尽なことを言おうとか、子供を守る必要などないとか、そういうことを言っているわけではありません。
ただ、物わかりの良い大人達が増えれば増えるほど、「いつか大人になる子供達」に対する「教育」というものが本当にうまく実践できているのか不安になってしまうのです。
教師や親が、時には「理不尽」なことを子供にぶつけたっていいのではないか、ということです。
子供の事情を考えず、大人が大人だけの事情を考えて事を進めても良いはずです。
もちろん、冒頭で述べたように、何事も「バランス」というものが大事です。
大人達が子供に寄り添わず、子供を守ろうとしなければ、子供達は大人に対して「不満」を覚えることでしょう。そのことで悪い結果になることも当然あります。
ただ、子供は、あらゆる面で「責任」を問われずに済んでいます。
子供が子供だけの都合で、子供の主張を貫こうとするならば、「じゃあ、お前にその責任が取れるのか?」と返してやれば良いのです。
子供は責任を取ることを求められていない代わりに、責任を取る大人達の言うことを聞くしかありません。
そして、子供が「子供はイヤだ、早く大人になりたい」と思えたならば、もしかしたら、その方がよっぽど教育的と言えるのではないでしょうか。
大人になって、世の中にあふれている「理不尽なこと」に自分の力で立ち向かい、自分自身のことは自分で守り、そしてそれらの全てに対して自分で責任を取る。
この日本という少子化の国でやらなくてはならないのは、そういう大人を育てることだと思います。
決して、子供が「子供のままでいたい」と思ってしまうような、子供にとって心地良い世の中を作るべきではない、と思うのです。
<おしまい>