「自立の反対」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「依存」という言葉ではないでしょうか。

「依存」は、確かに他人にもたれることであり、自分の力で立とうとしない様子のことなので、「自立の反対」と言えるかもしれません。

「依存」という言葉を聞くと、あまり良い印象を受けない人が多いのではないでしょうか。

なので、自分の生徒や子供達に「依存させないようにしよう」と心がけている人はいると思います。

 

ここで私が思うのは、「自立」は良いこと、「依存」は悪いこと、という図式だけを頭に描きながらも、結局自分がやっていることは「自立の反対」というケースもある、ということです。

「自立の反対」でありながら、「依存」ではない言葉、というものは他にないでしょうか?

そう考えて、いくつかの言葉を思い浮かべてみました。

それは、「従順」という言葉だったり、「素直」という言葉だったりします。

「従順」や「素直」という言葉は、多くの人にとって、決して「悪いイメージ」の言葉ではないと思います。

むしろ良いイメージの言葉、であるかもしれません。

ところが、生徒や子供が「従順」であったり「素直」であったりすれば、そこには「自分の頭で考えて答えを出す」というプロセスが欠落していると言わざるを得ません。

教師や親が「こうしなさい」「こうすれば良い」と言ってきたことに対して、従順に、素直に受け止める。

つまり、それは「自分で考える」ということとは逆のことになるので、これもまた「自立の反対」ということになるのではないでしょうか?

本校に通う中学生や高校生達を見ていると、とても従順で素直な子が多いなぁと感じます。

従順で素直、ということ自体は、人から好かれる要素でもあるので、それはそれで良いのですが、その一方で、そういう生徒達は「自分の頭で考える」とか「自分自身の責任で行動を開始する」といったことが本当に苦手です。

行動のための第一歩を踏むのが「自分」ではなく「他人」であり、「他人がこうしろと言ってきたから、それに従って自分は第二歩目として踏み出す」という人は、たいてい「勉強」でも「仕事」でも良い結果を出すのに時間がかかります。

自立している人は、「最初の一歩は、他人ではなく、まず自分が踏むものだ」と思っている人であり、そのことを実行できる人です。

そういうことを実行できる人ほど、勉強も仕事も、人よりも早く良い結果を出す傾向にあるように感じられます。

ところが、日本の教育現場や家庭では、生徒や子供に対して「従順で素直」であることを褒める傾向にあります。

もちろん、従順で素直である、ということは「良い要素」ではありますが、そのことによって「自立とは反対の方向に向かっている」ということもまた自覚しなくてはなりません。

生徒や子供に対して、「依存」は良くない、と言いながら、「従順」や「素直」は良い、としてしまっているのであれば、どちらにしても「自立の反対」に向かってしまっている可能性があるということです。

現に、学校の勉強がうまくいかない、ということで本校に駆け込んでくる生徒達を見ていると、本当に絵に描いたような「従順さ」や「素直さ」を持っている子ばかりです。

自分の生徒や子供を見て、「従順で素直」な良い子だと感じたならば、「自立心が育っていないかもしれない」と疑うべきだろうと思います。

自立心さえあれば、今目の前にある問題のほとんどが解決してしまうことだってあり得ます。

生徒や子の「自立」を育てることこそ、教師や親の重要な役目の1つだろうと思います。

<おしまい>