仮に、「やる気がない」という子供がいたとします。

「やる気」というものは、一体どうすれば出てくるのでしょうか?

それを知るためには、周りの「やる気がある人達」を観察してみると良いのです。

「やる気がある人達」は、どうも何かしらの「目標」に向かって走っているように見えます。

「目標」があって、そのゴールに向かって走ろうとしている。だから「やる気がある」のです。

そして、やる気がある人達の「目標」というものは、おそらく、「他人」が設定したものではありません。

その人自身が「自分」で目標を設定したのだろうと思われます。

 

「やる気がない」ということは、つまり「目標がない」ということです。

「やる気がない」という子供に対して「やる気を出せ」と言っても効果はありません。

それよりもむしろ、「君は一体、何をしたいんだ?」と訪ねることが大事です。

「何をしたい?」や「何を達成したい?」と訪ね、自分がやりたいことを「自分の頭で考えさせる」ことがまず最初に必要です。

そして、本人が自分で考えて、「目標を自分で言う」ことがとても重要です。

これができれば、大きな一歩と言えます。

 

本人が「目標」を言ってきたところで、ようやく周りの人間の出番です。

周りの人間は、その目標が「長期的な目標」と「中期的な目標」と「短期的な目標」のどれなのかを判断します。

「やる気のない子供」は、たいてい「目標を設定するのが苦手である」という特徴を持っていますから、「目標」そのものが「長期的」なのか「中期的」なのか「短期的」なのか、バラバラだったりします。

これは、「すごろく」にたとえて考えてみると良いでしょう。

「今自分がいるところ」は「スタート」であり、「最終目標」は「ゴール」です。

子供が言ってきた「目標」というものが、まさに「最終ゴール」と言えるほど「長期的な目標」であったならば、「では、そのゴールの直前は、どのようなマスだと思う?」と尋ねてみましょう。

「ゴール」と「ゴールの1つ前のマス」の両方を思い浮かべることができたなら、その要領で、1マスずつ遡っていき、「今の自分」にまでつなげていくのです。

「今の自分」にまで戻ってきたら、今度は、「1つ先のマス」に視点を向けさせ、「では、次のマスに行くにはどうしたら良い?」と尋ねるのです。その答えもまた、「自分」で考えさせなくてはなりません。

あるいは、子供が最初に言ってきた目標が「中期的な目標」や「短期的な目標」であったならば、今度は、「その次のマスは何だろうか?」のように、「そこから先の未来」に視点を向けさせます。

特に「短期的な目標」というものは、達成するのが比較的容易であるという一方で、いったん達成してしまったらおしまい、となりがちです。つまり、「やる気が持続しない」のです。

「目標」というものは、「長期的」と「中期的」と「短期的」といった「複数の視点」で同時に捉えるべきです。

子供が自分で設定した「目標」が、この3つの視点のうちの「1つ」に偏っているような場合には(ほとんどその場合が多いと思いますが)、「長期的」と「中期的」と「短期的」の3つの視点を子供自身に意識させることがとても重要です。

周りの人間は、子供が自分で「長期的」と「中期的」と「短期的」の3つの視点で目標を設定することができるように導き、「自分で目標を設定する」という練習をさせるべきです。

そして、子供が「自分で目標を設定する」ということが上手くなっていけば、「やる気」なんてものは自然に芽生えてきますし、いったん生まれた「やる気」はそう簡単に消え失せたりしません。

「目標」を設定することは、「自分をよく観察する」ことにもつながりますし、同時に「世の中をよく観察する」ということにもつながります。

自分をよく観察し、世の中をよく観察し、「自分は何をしたいのか?」と自問することができれば、自分で「目標」を設定することができるようになることでしょう。

そして、「自分で目標を設定する」ことができた人は、自分の「やる気の炎」を絶やすことなく進んでいくことができるのです。