お手本となる発音を聞いて、わりとすぐに「マネして言う」ということができる人もいます。

その一方で、なかなかすぐには上手くいかないという人もいます。

上手くいかない理由として、「自分の発音が正しいかどうかが分からない」ということが挙げられます。

本校の生徒の中にも、そう主張する人がたくさんいます。

「自分の発音が正しいかどうかが分からない」という人は、そもそも「良い発音と悪い発音の区別ができない」ということなのでしょうか?

どうやら、そうではないようです。

「自分の発音が正しいかどうかが分からない」という生徒に対し、教師である私が、「正しい音」と「正しくない音」をランダムに発してみたとします。

まず私は、「この音が正しくて、この音は正しくない」ということを説明しながら、実際に発音を生徒に聞いてもらいます。

その後で、「では、今から私が発する音が、正しいか、正しくないかを当ててください。」と生徒に言います。

実際にやってみると、ほとんど「全て」の生徒が、私がランダムに発する音を聞いて「正しい」と「正しくない」を聞き分けます。

つまり、「他人が出す音」を聞くならば、その音が「正しいかどうか」が分かる、ということです。

ところが、「自分で発音しながら、その発音が正しいかどうかを確認してください」と言うと、途端に「それができない」という人がたくさんいます。

「他人の音の善し悪し」は分かるのに、「自分の音の善し悪し」が分からない。

一体、どうしてでしょうか?

 

考えられる答えは1つ、「他人の音は聞いているけれど、自分の音は聞いていない」ということに他なりません。

「自分の音を聞いていない」と聞くと「そんな馬鹿な」と思うかもしれませんが、これは本当の話です。

「他人の音」を聞いている時は、自分の「頭の中」では、「聞く(=音をインプットする)」ということだけに100%の意識を向けることができます。

ところが、「自分が音を出す」ということをしている時には、「発音する(=音をアウトプットする)」ということと「聞く(音をインプットする)」ということの「2つの行為」に意識が分散されます。

意識が分散されるということは、少なくとも「100%聞く」ということにはならず、「発音する=50%、聞く50%」というように、「聞く」ということに対する意識が低下するということになります。

さらに言えば、「発音する(アウトプットする)」と「聞く(インプットする)」では、多くの人にとって前者の方が「難しい」と感じられてしまうため、「発音する」の方への意識がさらに高まります。

そうなると、「発音する=80%、聞く=20%」といったように、「聞く」に対する意識がさらに低下してしまうということも考えられます。

「聞く=100%」であれば、その音が「正しいかどうか」が分かるのに、
「聞く=20%」となると、その音が「正しいかどうか」が分からなくなる、ということです。

 

このような現象が起きない人も、当然います。

そのような人は、「自分の音をきちんと聞く」ということができる人であり、こういう人は「発音の上達が早い」のです。

発音がなかなか上達しない人は、「発音する」ということよりも、むしろ「自分の音を聞く」ということに意識を向けるようにすべきです。

ところが、これが「言うは易く行うは難し」というもので、なかなか上手くいかないのです。

そこには、「別の理由」が存在するからです。

それは……

長くなりましたので、続きはまた次回、書きますね。
どうぞお楽しみに!

<続く>