<前回の続き>
前回、「正しく発音するためのトレーニング」について書きました。今回から文法の話に入ろうかと思いましたが、もう少し、「発音トレーニング」に関する部分でお伝えしたいことがありました。
「発音」というものは、「スポーツ」に似ています。
しかも、マラソンなどの持久力勝負のスポーツというよりは、球技などの「微細なコントロール」が要求されるようなスポーツです。
あるいは、「楽器演奏」とも似ているかもしれません。こちらもまた「微細なコントロール」を必要とします。
つまり「発音」というものは、「微細なコントロールを必要とするもの」なのです。
そして、コントロールというものは、「人から教えてもらえるもの」ではなく、「自分でなんとか身につけていくもの」と言えます。
ここが「単なる知識」とは違う点です。
知識は「人から教えてもらえるもの」です。
だから「教師」という仕事は、人に知識を教えてしまえば半分以上は役目が終わったことになります。
ところが「コーチ」や「トレーナー」は違います。
「発音」や「球技」や「楽器演奏」など、微細なコントロールは知識として教えれば良いというものではありません。
身につけようとする「本人」が、自分で獲得していかなくてはなりません。
コーチやトレーナーは、もちろん「知識」も教えていく必要があります。
しかし、単に知識を教えるだけでなく、学習者が実践する様子を見ながら、色々な角度でアドバイスしたり、檄を飛ばしたり、励ましたりしながら、結局は、学習者本人がコントロールを身につけられるまで導くのがコーチやトレーナーの仕事です。
コーチやトレーナーに支えられながらも、最終的には学習者自身が「自力」で身につけるしかありません。
「発音」とは、そういう類のものの1つです。
ましてや、母国語と違って「外国語の発音」ですから、そう簡単にコントロールが身につくわけではありません。
こういう「微細なコントロール」を必要とするものは、「毎日」やる必要があります。
時々やって、しばらく休んで、またやったりやらなかったりを繰り返して、という具合では身につくものも身につきません。
本当に「毎日」やるのが良いのです。
一日おき、では効果は半減以下です。
毎日毎日、「自分の身体」がコントロールに慣れるまで、ひたすら繰り返していく必要があります。
そういうトレーニングを毎日実践している人が、いざという時に使えるようになるわけです。
この感覚は、実際に何かにおいてコントロールを身につける訓練をした経験がないと分からないかもしれません。
学生時代に部活で球技をやっていたとか、
子供の頃から何かの楽器を演奏していたとか、
何かしらの「微細なコントロール」を身につけるトレーニングをしたことがある人ならば良く分かると思います。
コーチやトレーナーがいないところで、「自分だけ、1人だけ」で毎日やっていく、ということが「発音」を身につけていく上では、とても、大事なのです。
<続く>
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