<前回の続き>
前回、「発音」というものは「球技などのスポーツ」や「楽器の演奏」などに似ていると書きました。
どれも「微細なコントロール」というものを自分自身が身につけなくてはならないからです。
例えば、「L」と「R」を区別して発音できるようになりたいと思ったとします。
「L」と「R」では、舌の動かし方や喉からの声の出し方が異なります。
うちの生徒達は、まあ、ほぼ全員が「L」と「R」を区別して発音できるようになりますが、最初はたいてい皆さん苦労します。人によっては何ヶ月もできないこともあります。
それでも、「L」だろうと「R」だろうと、どちらも結局は「健康な人間ならば出せる音」なのですから、必ずできるようになるのです。
そのためには、前回も書いたように、「毎日練習する」ということが大事です。
つまり「間を空けずに、大量にやる」ということです。
「量」をこなすうちに「質」が改善されていく。
逆を言えば、「量をこなさなければ質は改善されていかない」ということ。
これは英語だけの話ではありませんね。
勉強でもスポーツでも仕事でも何でも、「量」があるから「質」が改善されていくのです。
ところが、量をこなしているにも関わらず、質がまったく改善されていかないというケースが生じます。
うちの生徒にもかつていました。
「毎日、たくさん練習している」というのに、全然成長していかない。
自分の「時間」や「お金」や「精神力」や「労力」を使ってまで、毎日練習しているのに、それでも成長していかない。
とても真面目なのに、とても一生懸命なのに、成長していかない。
こんなに辛く、悲しいことってあるでしょうか?
残念ながらあるのです。
なぜそんなことになってしまうのでしょうか?
それは、自分のことを「客観視する」ということがうまくできていないからです。
自分を客観視する——
難しい表現ですね。でも、これがとても大事なのです。
普通、「ものを見る」というのは「自分の目」で行います。
しかし、「自分の目」から見えるものしか見えないというわけではありません。
「自分の目」の及ばない所にだって、人間はちゃんと「視点」を置くことができるのです。
これは以前、「話し上手のルール」というテーマのブログ記事でもご紹介しました。
(過去記事:「話し上手のルール(2):見えないところを見る力を鍛えよう・その1」。)
自分の目から見えるものが全てではありません。
「他人」はいくつもの視点から「自分」を観察してきます。
このような「他人の目」を自分の頭の中で想像しながら、そこから見える映像を見ること。
これを「客観視する」と言います。
自分をコントロールする術を身につけたくて「量」をこなして練習しているのにも関わらず成長していかない人は、「自分を客観視する」ということがうまくいっていないと自覚する必要があります。
では、「自分を客観視する」ためには、どのような訓練が必要なのでしょうか?
続きはまた次回!
<続く>
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