子供に、早い時期から英語を習わせることについての是非を考えるこのテーマ。
最初からお伝えしているように、私(久末)の今の時点での基本的なスタンスは「子供向けの英語教育には賛成できない」というものです。
前回と前々回で、私は「人が何かを継続するには3つの理由がある」と書きました。
何かを継続しているとして、「なぜそれをやり続けるのですか?」と問われた時、人は以下の3つから答えるように思います。(複数回答可、ですが。)
1. それをすることが「心地良い」と感じられるから。
2. それをすることが「必要だ」と感じられるから。
3. それをすることが「大切だ」と感じられるから。
1は「本能」「自然の感覚」による理由であり、
2は「義務感」「やむを得ない状況」「必要に迫られた環境」による理由です。
そして3は、「価値観」「モラル」「人生哲学」「誰かとの約束」「自分との約束」など、自らの「意志」によって選択している、という理由です。
子供に英語を習わせるのは「親の意志」だろうと思いますが、きっかけはともかく、そのうち子供が自分で「意志」を持って取り組むようになるならば良いと思います。
しかし、日常的に英語を使う環境のない日本において、そもそも英語を習うということは「川の流れに逆らって泳ぐ」というような不自然さがあって然るべきです。
そういう不自然な環境において、いくら子供が一時的に「英語が楽しい(心地良い)」と言ったとしても、不自然な状況下で、いつそれがひっくり返るかは誰にも分かりません。
「やるだけやって、イヤになったらやめればよい、ただそれだけのこと。」
という主張も分からなくはありません。半分くらいは私もその考えを持っています。
しかし、「イヤになったらやめればよい」というのは、その後の「後遺症」の可能性については全く考えていないということもまた指摘したいと思います。
例えば、幼稚園の頃から我が子に英語を習わせていたとします。
その後、小学校にあがってもしばらくは続けたとしましょう。
ところが、小学校高学年、たとえば5年生になった頃に、いろいろな理由から「やめたい」と本人が言ってきたとします。
そこで、親が「そうか、イヤならやめればいい」と認めたとします。
こういうことは、十分にあり得ます。
その子は、少なくとも全然英語をやらなかったよりもマシなので、その後、中学校に入ってから本格的に「お勉強」として英語が始まった時に、英語が得意になるでしょうか?
もしかしたらそうかもしれません。
でも、もしかしたら、全然逆の結果になってしまうこともあります。
「子供の頃からやってきた英語」というものは、その子の人生の中にそれなりの重みとなって残ります。
それを「途中でやめてしまった」という『結果』が残ってしまっているとしたなら、英語というものに対して「嫌悪感」や「敗北感」などを抱いてしまう可能性だってあるのです。
逆に、中学校に入るまでに一切英語を習ったことがない子供の場合は、そういう重みは一切なく、素直に、新鮮な気持ちで英語の授業を受けることができます。
ところが「昔はやっていたけれど、一度やめた」という事実が残っているせいで、もしかしたら、子供の頃から英語を全然習ったことがなかった子供よりも「苦手だ」という意識をもって中学校の英語の授業をスタートすることになってしまうかもしれません。
先行してスタートしていたはずの英語なのに、中学校に入る前にリタイアしてしまえば、もはや中学校に入ってから遅れを取ってしまいます。
中学校に入ってから、トラウマのような感じで英語に対して「拒否反応」を示してしまうことだってあり得ます。
『こんなことになるなら、英語なんて焦って早くから習わせるんじゃなかった。』
こんなことをぼやいている親も、世の中にはいるのではないでしょうか。
子供に早くから英語を習わせるならば、このようなことが起こらないよう、十分な配慮が親には必要なんだと思います。
<続く>
※記事をお楽しみ頂けましたら、以下のランキングにご協力をお願いします。
ポチッと押して頂ければ嬉しいです。(久末)