前回の続きを書きます。
人の行動を決めるものとして「感情」と「理性」の2つがある、ということを書きました。
「感情」というものは、人に限らず、イヌやネコなど、多くの動物にもあるものと言えます。(感情があるように思われない動物ももちろんいますが。)
動物にもあるくらいですから、健康な人ならば、誰にでも「感情」というものはあります。
そして、感情を大きく二分するなら、それは「心地良い」か「心地悪い」かの違いになります。
心地良いか悪いか、と言うことに関しては、そう感じてしまっている本人には「理由」がありません。
そう感じるのだから、仕方がない。
つまり「理由がない」のです。
そして、「理由がない」がために、そのことを自分でコントロールすることができません。
では、「感情」ではなく、「理性」というものはどうでしょうか?
「理性」というのは、誰にでもあるものではありません。
イヌやネコなど「感情」があると思われる動物について考えてみると、う~む、どうも「理性」があるとは考えにくいですね。
「理性」というのは、ある事柄に対して、「正しいか間違っているか」「良いか悪いか」「大事か大事でないか」「必要か必要でないか」などを区別する性質だと考えられます。
これらの区別をする本人にとっては、おそらく「理由」があります。
どうしてそれが「正しい」と思うのか?
きっと、これまで学んだ知識や経験などから、何かしらの理由をもって「正しい」と区別するのでしょう。
ところが、自分が学んだ知識や経験だけで「正しい」と思っても、自分の知識や経験が「不足している」という場合だってあります。
もしかしたら、「今は正しいと思っている」という事柄であっても、新たな知識や経験を得ることによって、「正しくない」という見方に変わることも十分に考えられます。
「理性」で何かを判断するということは、そこには「知性」が必要となります。
知性というのは、前にもここでご紹介しましたが、「知識と知恵を使おうとする性質」のことです。
「知識と知恵を使おう」とする人は「知性のある人」です。
「知性のある人」ならば、何かを判断したり区別したりする時に、その人が持っている「知識」や「知恵」を存分に使うことでしょう。
そうするとどうなるか。
「知性」を持って物事を観察することが出来る人は、自分が観察している事柄に対して、「正しい部分もあるが、間違っている部分もある」というように、「正反対の見方」というものができるはずです。
『1つの事柄について、正反対の見方を、同時にする。』
私の知る限り、心の健康を損ねやすい人というのは、この「正反対の見方」というのが苦手な人である可能性が高いように思います。
例えば、「お金というものは良いもの、悪いもの、どちらでしょう?」と尋ねられて、「お金は良いものだ」としか考えられない人、あるいはその逆で「お金は悪いものだ」としか考えられない人は、「正反対の見方を同時にする」ということが苦手かもしれません。
「お金は良いものだ」と思いながらも、「お金には悪い部分もある」ということを認められない人は、物事の考え方に「大きな偏(かたよ)り」があると言えそうです。
この世のどんなことであっても、「絶対に良い」とか「絶対に悪い」ということはありません。
どんなに「良いものだ」と思えるものであっても、色々な観点で見つめていけば、必ず「悪い部分」というものが見つかるはずです。
反対に、どんなに「悪いものだ」と思えるものであっても、そこから得られる「良い部分(プラスの部分)」があるものです。
例えば、「お金」は、私は基本的に良いものだと思います。
お金があるからこそ、物々交換などという面倒くさいことをしなくても済みますし、今の時代の紙幣や硬貨ならば持ち運びにも便利です。
魚を手に入れるのに、自分がつくった工芸品などをえっほらえっほら持って行く必要はないのです。
また、お金という概念があることによって、自分が提供している労働力やサービスや商品などを、他の人が提供しているものと比べるのに役に立ちます。
それが引いては、お金がどれだけ欲しい、という希望や願望に変わったりして、人の意欲やモチベーションを高めてくれるという効果もあるように思います。
お金を手に入れたことで、自分自身の評価が認められたと感じて、幸福感を得ることもあるでしょう。
安心感だって、お金を手に入れると同時に得られるものです。
その一方で、「お金」というものが人に悪い影響を与えることもあります。
大金を手に入れて、他人を信じることができなくなって、何でもお金で解決できると錯覚してしまう人もいることでしょう。
あるいはお金が手に入らなくて、お金ほしさに悪事を働いてしまう人もいることでしょう。
お金に責任はないのかもしれませんが、お金という存在がきっかけになって人や世の中に「悪い影響」を与えているという側面があるのも事実です。
そう考えていくと、「お金は良いもの、悪いもの、どっち?」と聞かれたら、「どっちでもある」という答えになりませんでしょうか。
これが、「1つの事柄について、正反対の見方を、同時にする」ということです。
正反対のものの見方をするのが苦手な人は、上記の「お金」の話も納得できないかもしれません。
「自分の価値観とは逆の価値観」を認められない人は、自分の日々の行動自体に大きく影響を及ぼします。
そして、自分の外側のものに対してだけでなく、自分の内側、つまり「自分自身」に対する評価についても、大きく偏ってしまうかもしれません。
「自分という存在は、良いもの、悪いもの、どっち?」と自問してみた時に、「自分は良いもの」と言い切れる人はどれくらいいるでしょうか?
逆に、「自分は悪いもの」と言い切ってしまう人がいたとしたら、あなたはどう思いますか?
心の健康を損なってしまう原因の1つに、「自分自身を100%悪い存在だと思ってしまう」ということが挙げられます。
しかし、どんな人であっても、どんな存在であっても、「100%良い」とか「100%悪い」ということはありません。
必ず「良い面と悪い面」が混在している。
そういう見方をすることができず、自分自身や、自分の外のものについて「0か100か」という見方をしていると、なにかのきっかけで心の健康を損ねてしまいます。
頭を使って考える。
知識