<前回の続き>

(「心の健康を損なわないために」の記事一覧はこちら。)

 

心の健康を損なってしまう原因の1つに、「力の入れすぎ」というものがあります。

「力の入れすぎ」を軽減するには、「気を抜いて良いところとそうでないところを見極める」ということがとても大切です。

前回、「気を抜いて良いところを見極める」には、それなりの経験が必要だと書きました。

ところが、経験を積んでも、「気を抜いて良いところを見極める」ということがなかなかできない人がいます。

今回は、その辺りについて考えてみましょう。

 

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まず、何かを「見つける」ためには、「見つけよう」とする意識が必要です。

当たり前ですが、「見つけよう」としないものは、「たまたま遭遇した」という以外、普通は自分の目には留まりません。

それはまるで、人でごった返している場所で、自分の知人を捜すようなものです。

「そこに自分の知り合いがいる」と知っていて、なおかつ「どこにいるのだろう?」と探す目を持っていれば、その知人を「見つける」ことに成功する確率も上がります。

しかし、「そこにいる」ということを知らなければ、あるいは「探そう」としなければ、同じような状況であっても、人混みの中で自分の知人が「目に留まる」ということはかなり確率が低くなりそうですね。

何かを見つけようとするならば、「そこにある」という確信を持ち、「探そう」という意思を持つことがとても大事です。

 

これと同じで、何かを身につけようとして努力していることの中に、「気を抜いて良いところ」を見つけるためには、「そういうポイントが必ずある」ということを信じた上で、「そのポイントを探そう」としなくてはなりません。

例えば、新入社員が仕事を覚えていくことを想像してみましょう。

新入社員のA君とB君は、どちらも同じような業務を与えられます。

二人とも同じくらい努力家で、同じくらい一生懸命仕事に取り組みます。

ところが、1年も経つと、二人の間に「差」が生じます。

A君は、まだまだ未熟な部分もありますが、それでも、確実に仕事の効率が高まっています。

以前よりも短い時間で、より完成度の高い結果を出せるようになってきました。

一方、B君は、入社した頃に比べ、仕事の効率があまり高まっていません。

A君と同じくらいの完成度の結果を出すためには、B君は、A君以上に時間をかけなくてはならないのです。

残業時間を増やしたり、あるいは、休日を返上して出勤したり。

B君は、より多くの時間を費やすことで、やっとA君と同じくらいの仕事をこなしています。

二人が与えられた仕事はほぼ同じようなもの。

仕事を処理する能力も、もともとはそれほど差がありませんでした。

それなのに、たった1年で、A君は、B君よりも効率良く仕事をこなすようになっているのです。

 

その理由は、もちろんいくつもあるでしょう。

しかしその中の1つに、「A君は、気を抜いて良いところを見つけるのがうまくなった」ということが挙げられるでしょう。

A君が「気を抜いて良いところを見つけるのがうまくなった」のは、初めから「気を抜いて良いところを探そう」としながら仕事をしていたからに他なりません。

一方、B君は、「気を抜いて良いところを探そう」などとは微塵も思わず、ただ仕事に取り組んでいただけでした。

【 探そうとすれば見つかる、探そうとしなければ見つからない 】

「気を抜いて良いところ」を探すのは、決して「ズル」をするわけではありません。

「気を抜いて良いところ」で敢えて気を抜くことで、その分、他の部分、言うなれば「気を抜いてはいけない部分」に意識を持っていくことができます(前回の「車の運転」の話です)。

「気を抜いて良いところで気を抜く」ということを「悪」だと思っている人は、いつまでも「気を抜いて良いところを探そう」とはしません。

「気を抜いて良いところ」は、本当に気を抜いて良いところなのですから、それを見つける事によって、より効率的に仕事をこなせるようになるのです。

 

「力が入りすぎて辛い」と思っている人は、「気を抜いて良いところ」が必ずあると信じ、その上で、そのポイントを「探そう」としてみてはいかがでしょうか。

心の健康は、自分で守る。

「気を抜いて良いところを探す」というのは、そのために必要な技術と言えそうです。

 

<つづく>

 

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