<前回の続き>

(「心の健康を損なわないために」の記事一覧はこちら。)

 

先日、母親が自分の子供を殺してしまうという事件がありました。

しかも、千葉県柏市と神奈川県厚木市でそれぞれ、この1ヵ月の間に2つも同じような事件が起きたのです。

千葉県柏市と言えば、私(久末)が住んでいる松戸市のすぐ隣の市です。

距離的にも近いせいか、なんだか人ごとのようには思えません。

このような悲劇が起こる背景には、「心の健康」の問題が見え隠れしています。

「心の健康」は、誰かが守ろうとしても守りきれるものではないかもしれません。

「心の健康は自分で守る!」

この考え方をモットーに、今日も心の健康を損なわないために何をすべきか、一緒に考えましょう。

 

<アメブロからの続きはここから>

 

心の健康を損なってしまう人の中には、「完璧主義」のような人が多いと聞きます。

どのようなことでも、「完璧」を求めようとする人。

そういう人は、状況や環境によっては心の健康を損なってしまう可能性があるということです。

実は、英語教師としての私自身の経験から、1つ感じることがあります。

それは、「完璧を求める人ほど、完璧には近づかない」ということです。

「完璧を求める」という気持ちが強いのに、なかなか「完璧」にならない。

これは一体、どういうことでしょうか?

 

「完璧を求める」ということ自体は、私は悪いことだとは思いません。

そこには「向上心」が感じられますし、何より、「完璧なもの」を見るのはたいてい誰にとっても心地良いものだろうと思うからです。

しかし、問題なのは、「完璧」に至るまでの「プロセス」です。

いわゆる「完璧主義」と言われる人達には、「完璧になるまで人には見せない」とか、「完璧になるまでは手を緩めない」といった傾向が見られます。

つまり、完璧となる前の時点での「失敗」というものをひどく嫌う傾向があるのです。

ところが、1つのことを「完璧」にするまでのプロセスには、どうしても「失敗」というものがつきものです。

「失敗」をするということを何度か繰り返すうちに、だんだんと「失敗」が減っていき、最終的には「完璧」になる。

このようなプロセスを経ることこそ、「完璧」への道のりなのではないかと思うのです。

ところが、「完璧になるまで人には見せない」とか「完璧になるまでは手を緩めない」ということを頑(かたく)なにやる人は、途中にある「失敗」すら許すことができないようです。

本校に通う生徒の中にも、時々、そういう傾向の人がいます。

そういう人は、人よりも長い時間かけているにも関わらず、なかなか「完璧」にできるようにはなりません。

その一方で、「失敗」に対してあまり抵抗がない人もいます。

「失敗」に対して抵抗がない人は、「どんどん失敗しても気にしない」という図太さを持っています(笑)

そして、「どんどん失敗しても良い」と思うからこそ、失敗を恐れる人よりも「数」も「量」もたくさんこなすことができるのです。

完璧主義の人がなかなかできるようにならないというすぐ隣で、どんどん失敗しても気にしない人が少しずつ「失敗」を減らしていきます。

ついには、同じ時間をかけているにも関わらず、完璧主義の人よりも遥かに速いスピードで、失敗を恐れない人が「完璧」になってしまうのです。

「完璧」を求める気持ちが強い人がなかなか完璧にならないのに、「失敗」を受け入れることができる人が先に「完璧」になってしまうという「皮肉」な現象が起こるのです。

 

自分が与えられた仕事について、「完璧にこなそう」と思うことは、決して悪いことではありません。

しかし、「完璧になるまでには、たくさんの失敗がつきものだ」ということを考慮せず、「失敗」を少しも許さないのは問題です。

「失敗」をたくさん受け入れ、そして、失敗を「少しずつ」減らしていく。

「失敗」がたくさんあれば、それだけ「完璧」に近づく。

「失敗」を敬遠したり、「失敗」を人に見せることを嫌っていると、いつまでも「完璧」にはならない。

「完璧主義」な人ほど、「失敗すること」の大切さを見落としてしまっているのではないでしょうか。

「失敗を恐れない」ということと、「完璧を目指す」ということを両立することができれば、きっと心も楽になるはず。

冒頭で述べたような悲劇が起きないように、自分の心の健康は自分で守りたいものです。

 

<続く>

 

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