<前回の続き>
(「心の健康を損なわないために」の記事一覧はこちら。)
心の健康を損なってしまう原因には、「外的要因」と「内的要因」があります。
「外的要因」と「内的要因」の境界が曖昧なこともあるでしょうが、「外的要因」に関しては、いくら自分が注意していても避けきれない場合もあろうかと思います。
一方、「内的要因」については、自分の側の努力で変えることができる場合があります。
その解決策を探るために必要なことについて、今日も考えてみましょう。
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前回、「心の健康を損ないやすい人」の共通点として、「客観力の弱さ」と「バランスの悪さ」を挙げました。
どのようなことも「バランス」が悪ければうまくいきません。
そして、「バランス」を取るためには「複数の点」が必要になります。
「複数の点」を持つためには、「客観性」が必要になる、ということです。
「客観性」を高めるということは、「観点の数」を増やすということ。
「観点の数」が増えることで、「バランス」も取りやすくなるのです。
昔、私が幼稚園に通っていた頃でしょうか。
私はふと次のようなことを考えました。
自分は、目を開ければ外の世界が見える。
ということは、自分は、この身体の「中」にいるということだろうか?
そうだとしたら、この身体の「中」にいるのは、自分だけだろうか?
自分だけでなく、他にも誰かが自分の中にいるとしたら、怖いなぁ。
一言も話さず、その誰かさんは、自分が見ているものと全く同じものを見ているのかもしれない。
自分だけに見えていると思っているこの映像を、他の誰かが見ているとしたら、怖い!
幼稚園の頃の私は、「魂」だとか「心」だとか、そういうことを言葉として知っていたわけではありません。
なんとなく直感的に、「目をつぶると何も見えないけれど、目を開けると外が見える」ということから、「自分が中にいるのではないか?」と感じたのです。
「自分だけに見える映像」というものこそ「主観」というものです。
目をつぶり、再び目を開けて「真っ先」に見えるもの。
何かを見たり、聞いたりした時に「真っ先」に感じるもの。
それは、自分にとっては「真実」であって、疑いようのないものです。
しかし、「自分から見える真実」というものを、自分自身で「いったん打ち消してみる」ということができれば、そこに「客観性」というものが生まれます。
「自分から見える真実」をそのまま信じるのではなく、「他の人は、どのように見ているのだろうか?」ということを、「人の数だけ想像してみる」のです。
自分の見ているものを全く疑わず、自分の見ているものしか信じられないとしたならば、「客観性」というものを持つことはできません。
そして、「客観性」を持つことができないのならば、「観点の数」というものは自分の主観の「1つ」だけとなります。
「1つの観点」しかなければ、当然「バランス」というものを保つことはできません。
なぜなら、「バランス」というものを保つためには、「複数の点」が必要になるからです。
「バランス」が悪い状態が続けば、心の健康を損ない易くなることでしょう。
だから、まずは「自分の主観を疑う」ということが何よりも大切なのです。
心の健康を損なわないために、「自分の主観を疑う」ということを意識してみましょう。
<続く>
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