<前回の続き>
(「心の健康を損なわないために」の記事一覧はこちら。)
人は誰でも「健康」でありたいと願います。
健康を損なってしまった時ほど、特に強くそう願います。
健康のためにすべきことは、日々の生活の中にあります。
身体の健康も、心の健康も、自分の心懸け次第で守ることができるかもしれません。
今日も心の健康をいかにして保つことができるかを考えてみましょう。
<アメブロからの続きはここから>
前回、「客観性」と「バランス」について書きました。
この2つがうまく機能していけば、簡単には心の健康は崩れません。
しかしこの2つのどちらかでも失われてしまえば、ふとしたきっかけで心の健康が損なわれてしまう可能性が高まります。
客観性を高めるためには「自分の観点がまだ足りないのではないか?」と自問することが必要です。
自分が見えている映像、自分が自然に感じる感覚、自分が真っ先に思いつく考え方。
これらは、自分にとっては真実であっても、「きっと他の観点から見れば、別の答えがあるはず」と考えていくことができます。
そして、客観性を高め、観点の数を増やしていくことができたならば、その分だけバランスがとりやすくなります。
ところが、客観性を高めるのを邪魔するものがあります。
それは「プライド」というものです。
プライドを持つ、ということに関して言えば、良い面と悪い面の両方があります。
そのうち、「悪い面」が強く出てきてしまうと、客観性を高めることができなくなってしまいます。
例えば、プライドの高い人には、次のような傾向が見られます。
1. 自分のやっていることに誇りを強く持っているため、他の選択肢を考えようとしない。
2. 自分の力を信じているため、他の人に力を借りずに自力でやり通そうとする。
3. 自分を良く見せようとする気持ちが強いため、自分の弱い姿を人には見せようとしない。
他にもあるかもしれませんが、これを貫き通そうとするならば、本人はそれなりに苦しい思いをすることでしょう。
もちろん、「苦しい思いをする」ということは、どんなことであれ、成長するためには不可欠な要素です。
「楽な思い」だけで成長できるようなことは、普通はなかなか見つかりません。
だから何かを成し遂げたり、自分を成長させようとしたりするならば、それなりの「プライド」を持って取り組むことが重要です。
しかし、物事どんなことにも限度があります。
度を超えてプライドを保ちすぎると、客観性がどんどん失われ、自分の「主観」が強く出てきます。
「主観」というのは、1つの観点でモノを見ることですから、当然、バランスも大きく崩れます。
バランスが崩れ、苦しく、辛い思いをずっと我慢していると、ある時、心がポッキリ折れてしまうことがあります。
プライドが高い人は、心が折れる前まではすさまじいエネルギーを自家発電しながら取り組むことができますが、その反面、心がいったん折れた時のダメージもすさまじいものになりがちです。
まあ、プライドが高い人はそもそも「主観が強い人」とも言えます。
「客観力ができる人」は、プライドというものをうまく利用してバランスをとるものです。
ということは、プライドの善し悪しすらもコントロールするためにも、やはり「客観性」というものを高めていく必要があるのだろうと思います。
自分で「プライドが高い」と思う人は、プライドの善し悪しについて考えてみてはいかがでしょうか。
<続く>
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