そもそも、学校では、「子供が、自分の考えていることを人に伝える」という練習をどれくらいしているのでしょうか?

学校の授業の時間だけを見てみると、その大半は、「教師が説明する」という時間になってしまってはいないでしょうか?

「教師が説明するのは当たり前」だと思う人も多いでしょうけれど、本当に、これで良いのでしょうか?

 

まずは、大人達が「今までの常識を疑う」ということをすべきだと思うのです。

「説明する人」と「説明を聞く人」では、断然、前者の方が頭を使うはずです。

そして、頭を使う機会をたくさん持った人ほど、頭が良くなるはずです。

教師が「説明する役」をするということは、つまり、「教師の頭がどんどん良くなっていく」ということです。

では、「説明を聞く」ということをメインで行う生徒達はどうか?

「説明を聞く」という行為は、それほど頭を使わなくても済んでしまいます。

もちろん、一生懸命頭を働かせながら教師の説明を聞こうとする生徒もいるでしょうけれど、「全く聞かない」ということを心に決めている生徒もいます。

「全く聞かない」という意識の生徒は、教室のその場で、他の生徒と同じ時間を共有しているにも関わらず、授業が終わった後では「何も頭に残っていない=ゼロ」ということもあり得る、ということです。

「教師=説明する役」であり、「生徒=説明を聞く役」である、というのが、今の日本では当たり前の図式となっているかもしれませんが、本当に、これで良いのでしょうか?

こんなことを書いてしまうと、「そんなこと言っても、授業において、生徒の一人一人に説明させるだなんて、不可能だ」という、現場の教師からの悲鳴にも近い反論が聞こえてきそうです。

こういう時に、大人達が「では、どうすればできるのか?」ということを考えなくてはなりません。

「できない理由」を先に挙げるのではなく、「子供の伝える力を高めるにはどうすれば良いのか?」という観点から「できる方法」を探していくべきです。

学校の教育の現場には、おそらく、ガチガチに固い価値観がたくさんあるのだろうと思います。

子供が、学校という場において、「伝える練習」を如何にしてたくさん行うことができるのか、そういうことを大人達が考えなくてはなりませんが、肝心の大人達の思考が止まっている、ということもあります。

こんな偉そうなことを書いておいて、「お前の教室では何をやっているんだ?」と思う人もいることでしょう。

私の教室では、何かにつけて、生徒が「説明する」という機会を生み出し、生徒の説明が終わるまでジッと待つ、ということを実践しています。

口頭での説明はもちろんですが、言いたいことを文章にして書く、というトレーニングもたくさんしています。

本校に通い始めて間もない生徒達にとっては、それはしんどいことかもしれません。

しかし、本校でのそうした「伝える練習」をこなしていくうちに、だんだん、伝えることが上手くなっていきます。

本校は「英語教室」ではありますが、まずは母国語で「自分の考えを伝える」ということができなくてはなりませんので、本校の生徒達には「日本語」で説明したり、伝えたいことを書くように指導しています。

 

日本の一般的な小学校や中学校、あるいは高等学校において、「生徒が説明する」ということに大量の時間をかけているところは皆無ではないでしょうか。

「伝える練習」を学校でせず、家庭でもしないのだとしたら、いったい、子供達はいつになったら「伝える力」がつくというのでしょうか。

大人になって、仕事をする時には、「伝える力」が役にたちます。当然、プライベートでも役に立ちます。

自分の考えていることを、自分の力で、人に分かり易く説明する。

このことができる人材をたくさん増やしていくことは、日本の教育の早急な課題と言えます。

 

<つづく>