<前回の続き>

私達は毎日の生活の中で「決断」と「行動」を繰り返しています。

・明日の朝は、何時に起きようか?

・朝ご飯には何を食べようか?

・どんな服を着ていこうか?

・会社に出かけるには、何時に家を出ようか?

・お昼ご飯は何にしようか?

・仕事が終わったら何をしようか?

・テレビは何を見ようか?

・どんな友達と付き合っていこうか?

・どんな友達とは付き合わないことにしようか?

・どんな会社に入ろうか?

・どんな仕事に就こうか?

・どんな人と結婚しようか?

・どこに住もうか?

小さなことから大きなことまで、日々の「決断」と「行動」の1つ1つが私達の人生を「自分だけの特別なもの」にしてくれると言えます。

そういう「決断」と「行動」をする度に、以下の「4つの価値基準」が働くと考えられます。

 A:「感情」での「プラス」(好きなこと、心地よいこと)

 B:「感情」での「マイナス」(嫌いなこと、心地悪いこと)

 C:「理性」での「プラス」(良いこと、大事なこと)

 D:「理性」での「マイナス」(悪いこと、大事ではないこと)

前回示した例のように、タバコを吸ったことのない人が、生まれて初めて勧められたタバコを吸うかどうかというのは、上記の4つの価値基準の中でどれに一番大きな比重が置かれるかによります。

AあるいはCの「プラス」の比重が大きければ「タバコを吸う」という決断と行動となりますが、
BあるいはDの「マイナス」の比重が大きければ「タバコを吸わない」という決断と行動となるわけです。

ここで、今回のテーマである「苦手なこと」という観点で考えてみると、どうやら「苦手なこと」というのは「B」に分類されるのではないかという結論に行き着きます。

では、「苦手」というものが「B」に分類されるということから、何を考えていくことができるでしょうか?

まず考えられるのは、「苦手なこと」は、感情としては「嫌い」であるということであり、また感情として「心地悪い」ということです。

これらは「感情」という基準なので「理由」がありません。

「理由がない」ということから、これらは「自分でコントロール」できるわけではない、ということにつながります。

人が何かを「好き」になるとき、そこには「心地よい」という以外には理由はありません。

これと同じで、人が何かを「嫌い」になるときも、そこには「心地悪い」という以外には理由はないのです。

ということは、「苦手なこと」に対して「感情」として「嫌い」とか「心地悪い」と感じてしまっているなら、それを無理矢理「感情」で「好きになろう」とか「心地よく感じよう」と思っても、そんなことはどだい無理な話と言うことになります。

そこで考えるべきは、「理性」というものです。

「感情(心)」では「これは嫌いなことであり、心地悪いことだ」と感じていても、
「理性(頭)」では「これは良いことであり、大事なことだ」と思うことが出来るならば、
もしかしたら、「理性によるプラスの評価」によって、苦手なことに向き合うことができるようになるかもしれません。

「苦手なこと」は最初から「感情」に支配されているのですから、コントロールの効かない「感情」で対抗しても無理です。

だから「理性」というものを高めないことには、どうしても「苦手」を克服していくように「決断」して「行動」していくことはできません。

しかし、「理性」というものは、一朝一夕に高められるものではありません。

いろいろなことを経験的に学習し、失敗の原因を探ったり、成功への対策を考えたりすることによって「理性」というものは高まっていくのです。

「苦手」を克服していくような人を観察していると、その人達はストイック(禁欲的)なほどに「理性」が強いという共通点があるように思えます。

では、「理性」というものは、どのようにして高めて行くことができるのでしょうか?

これはなかなか難しい問題ですが、考えてみる価値はありそうです。

次回は「理性は如何にして高められるか?」という観点で考えていきましょう。
どうぞお楽しみに。