このテーマ記事、前回からだいぶ間が空いてしまいました。
前回まで、「苦手なこと」を克服するには、「感情」よりも「理性」を高める必要があると書きました。
そして、「理性は如何にして高められるか?」というところで終わったのです。
今回はその続きを考えてみましょう。
まず、そもそも「理性」とはどのようなものでしょうか?
辞書をみると、次のように書かれています。
◎理性
1.道理によって物事を判断する心の働き。理論的、概念的に思考する能力。
2.善悪、真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
などとあります。
簡単に言えば、理性というのは、
「複数の事柄を頭の中でつなげ、考える力(思考力)」
と、
「自分を抑えて我慢する力(忍耐力)」
を足し合わせたものとして捉えられるのではないでしょうか?
「思考力」と「忍耐力」。
さらにこの二つは、お互いに影響し合っているとも言えます。
我慢するための理由を「考える」ことができるからこそ「我慢する」ことができるのですし、
また、頭の中で複数の事柄をつなげることを辛抱強く「我慢する」ことができるからこそ「考える」ことができるのです。
我慢するにも、考える力が必要で、
考えるにも、我慢する力が必要だということです。
では、「思考力」や「忍耐力」はどのように高めれば良いのか?という話に切り替わることになります。
「思考力」も「忍耐力」も、ある程度言葉が分かるくらいの年齢になっていて、かつ健康でさえあれば、たいてい誰もが持っている能力です。
人間の能力というものは、使い続けて練習すれば、必ず高まっていきます。
つまり、「考える練習」をたくさんすれば「思考力」は高まりますし、
「我慢する練習」をたくさんすれば「忍耐力」も高まるということです。
しかし「考える」や「我慢する」というのは、幼い頃ほど、自力ではできないものです。
だから周りの環境や大人達が、幼い子どもに対して「考える」や「我慢する」といった機会を用意し、練習させてあげなければならないのです。
ところが、そういう環境もなく、周囲にそういう大人もいなければ、「思考力」も「忍耐力」も鍛えられていきません。
「思考力」や「忍耐力」が鍛えられないままだと、ひいては「苦手なこと」をいつまでも克服できない大人となってしまう可能性も高くなると言えるでしょう。
では、運悪くそういう環境で大人になってしまった人はどうすれば良いでしょうか?
少し長くなったので、続きはまた今度!