「発音がなかなか上達しない人」の共通点として、まず挙げられるのが「音の出し方が丁寧ではない」という点です。

「丁寧かどうか」というのは、個人個人の感覚によって大きく異なります。

ある人が「ここまでやれば丁寧だ」と言ったとしても、別の人が「それではまだ丁寧ではない」と言うこともあります。

スポーツでも、楽器演奏でも、武道でも、芸術品制作でも、「丁寧さ」というものはとても重要です。

たいていどのようなことであっても、レベルが上がるにつれて、「丁寧さ」は、高いレベルのものが求められるのが普通です。

発音を指導していて、なかなか上達しない人に、「もっと丁寧に音を出してください」とか「もっと細かく音を出してください」と指示を出すことは頻繁にあります。

ところが、そういう指示を出した後でも、その人が発音するの聞くと、丁寧であるとはとても言えないような発音します。

つまり、「自分では丁寧に、細かく言っているつもり」であっても、それはあくまでも「本人の個人的な感覚」なのです。

発音の上手な人が「ここまで丁寧にやっている」というレベルがあるとして、なかなか上達しない人は、それよりも低いレベルのところで「自分は丁寧にやっている」という感覚を持ってしまっているのです。

なので、「もっと丁寧に!」と他人が言っても、本人は「丁寧にやっているよ!」と反論してくるわけです。

「ここまでやれば丁寧だ」という感覚が、人によって異なってしまうため、発音がなかなか上達しない人は「さっきよりは丁寧にやっている」とは主張するものの、「その丁寧さが十分かどうか」という観点では考えられていない、ということが言えそうです。

また、「丁寧であるかどうか」ということを確認する方法として、「スピードを遅くすることができるかどうか」という点が挙げられます。

お手本となる発音をこちらが示す時に、かなりゆっくりと発音することが多いのですが、「これをまねしてみてください」と言っても、発音がなかなか上達しない人は、お手本のスピードよりもずいぶん「速く」発音してしまう傾向があります。

「速い」ということは、当然「丁寧に」とは逆の方向に向かっていることになります。

そして、「丁寧に」ということを実践できたとしたならば、その結果、スピードも「ゆっくり」になるはずなのです。

発音がなかなか上達しない人は、「ゆっくり」にすること自体が苦手という傾向もあります。

言い換えるならば、「せっかち」であり、「雑」なのです。

せっかちで雑な性格であるが故に、「ゆっくり」と発音することができず、結果的に「丁寧に音を出す」ということができないわけです。

発音の上達にとって、「せっかち」と「雑」というものは一番の強敵です。

これと戦うのは、発音を指導する人ではなく、発音しようとする本人です。

発音するスピードを調整することができるのも、発音しようとする本人だけです。

発音しようとする本人が、「今の丁寧さのレベルでは足りない」と自覚した時に、発音が上達する道のりのスタート地点にようやく立てたと言えるのです。

 

<つづく>