英語を学ぶということは、「コミュニケーションの手段を身につける」ということです。

・英語を使って、外国の人と意思疎通を図ること。
・相手が発した言葉や文章を理解すること。
・こちらの発した言葉や文章を理解してもらうこと。

英語学習者は、このようなことを可能にするために英語を勉強しているのだろうと思います。

ところが、「英語力さえあればうまくコミュニケーションがとれる」と思ったら大きな間違いです。

ここで仮に、「英語力」とは「1. 語彙の知識」と「2. 文法の知識」と「3. 発音の技術」の3つを合わせた総合的な力のことである、と定義しましょう。

そういった「英語力」があっても、肝心の「コミュニケーションの力」がなくては意思疎通はうまくいきません。

これは、母国語に置き換えて考えてみれば分かるでしょう。

私達のほとんどは、母国語の日本語に関して、それなりの「1. 語彙の知識」があります。

「2. 文法の知識」や「3. 発音の技術」は、母国語であるが故に「無意識に、自然と」身についてしまっていますから、これも問題なし。

つまり、日本人ならたいてい誰でも高い「日本語力」を持っていると言えます。

では、日本人の誰もがコミュニケーションが上手か?と言えば、そうではありませんね。

コミュニケーションが上手な人もいれば、苦手な人もいます。
誰とでも理解し合えるなどという人はいません。

「人間」である以上、人それぞれ価値観・能力・経験値などが異なっているのですから、同じ日本人同士、日本語話者同士だからと言って、それだけで通じ合えるというわけではないのです。

しかし、世の中には、それでも「たいていの人と理解し合える」という人もいます。

そういう人は、「日本語力が高い」のではなく、「コミュニケーション能力が高い」のです。

そして、そういう「コミュニケーション能力」が高い人は、言語を「英語」などの外国語に置き換えたとしても、きっと高いコミュニケーション能力を発揮することでしょう。

昨日、テレビで「これからの時代、コミュニケーション能力なんていらない、必要なのは高い専門的能力だ」と誰かが主張していました。

それはそれで一理あると思います。

しかし、人ならば、「自分のことを理解してほしい」という欲求を誰もが持っているはずです。

「自分のことはなるべく理解しないでほしい」とか「自分の存在にはなるべく気づかないでほしい」のように本気で思う人がいるでしょうか?

もしそういう人がいたとしても、それは、生まれた時からそのようになっているのではなく、人生における強烈な環境や価値観に触れて、少しずつそのような考え方に支配されていったのではないかと想像されます。

その証拠に、泣かない赤ん坊はいません。
健康であれば、赤ん坊は「自分のことを理解してほしい」と主張して泣くのです。

お腹がすいた。
ねむい。
おむつを替えて欲しい。
暑い。
寒い。

何かしらの「主張」を相手に伝えたいと願って、赤ん坊は泣きます。

つまり、人間は誰だって「自分のことを理解してほしい」という欲求をはじめからもって生まれてくるのです。

しかし、大人になるにつれて、「理解して欲しい、だけど理解してもらえない」という状況を誰もが経験します。

「理解してもらえない」のはなぜか?

それは「相手の理解力が弱い」か「自分の表現力が弱い」かのどちらか、あるいはその両方が原因となっているからです。

「相手の理解力」に関しては、こちらでどうにかできることではありません。

しかし、「相手の理解力」がいくら弱くても、こちらの表現の仕方が上手であれば、もしかしたら理解してもらえるかもしれません。

ところが、「自分の表現力の弱さ」を棚に上げて、自分のことを理解してくれない原因を「相手だけのせい」にする人も少なからずいます。

「自分のことを理解してもらえない」という欲求不満と、「どうして理解してくれないんだ!」という憤(いきどお)りが入り交じった精神状態になると、人は、「理解してくれない相手」を攻撃することだってあります。

言葉で攻撃したり、物理的に攻撃したり。

よく「無差別殺人」や「通り魔殺人」などを犯した人が、「相手は誰でもよかった」などと供述することがあります。

この背景には、「周りの友人や知人はもちろん、家族や親戚なども自分のことを理解してくれない」という状況があったのだろうと想像できます。

「自分のことを理解してくれない」という状況が長く続くことは、精神衛生上、決して好ましいことではありません。

だから周囲の人達が、その人を理解しようと努力することも必要でしょう。

しかし、「自分のことを理解してもらう」ためには、「自分自身」の側の努力も必要なのだということを見落としてはいけません。

そして、「自分のことを理解してもらう」ためには、「コミュニケーション能力」を高める必要があるのです。

「コミュニケーション能力」には「理解する力(インプット)」と「表現する力(アウトプット)」の2つがあります。

難しいのは「表現する力」です。

これは英語でも日本語でも共通していますね。

相手が言ったことや書いた文章を「理解する」というよりも、
自分の頭の中にある考えを、「誰もが理解できるような言葉や文章にする」という方が難しいのです。

難しい方のアウトプットができるようになれば、より易しいインプットの方はカンタンにできるようになります。

一般的に「話し上手は聞き上手」と言われますね。

上手に話す能力があるからこそ、上手に聞くことができる、ということです。
これを逆にしてはいけません。

上手に聞くことができても、必ずしも上手に話せるとは限りません。

「話す=アウトプット」で、「聞く=インプット」です。

どんなことでも、「インプット」よりも「アウトプット」の方がレベルが高く、難しいのです。

だから、「話す=アウトプット」が上手になれば、それに合わせて「聞く=インプット」も上手になるのです。

このことをまとめると、次のようになります。

 1. 話し上手になる

   ↓

 2. 聞き上手になる

   ↓

 3. コミュニケーション能力が上がる

   ↓

 4. 自分のことを理解してもらいやすくなる

   ↓

 5. 人をむやみに攻撃することを回避しやすくなる

   ↓

 6. 人への無駄な攻撃を回避