「話し上手」になるためには何が必要かを考えていくこのコーナー。
前回までにご紹介したように、「見えないところを見る力」をしっかり持てている人は、「人の気持ち」を知ることができます。
逆に「見えないところを見る力」が弱い人は、「人の気持ち」を知ることができないとも言えます。
「見えないところを見る力」というのは、
( 情報量 & 知識量 ) × ( 思考力 & 想像力 )
というかけ算によって得られます、と前回も書きましたね。
しかし、「情報量 & 知識量」も、「思考力 & 想像力」も、常に高く維持できるようなものではありません。
どちらも、自分自身が「弱っている」ような時には、「情報量 & 知識量」も「思考力 & 想像力」も弱ってしまいます。
つまり、「弱っている人」は「見えないところを見る力」も弱まってしまうということになります。
例えば、「子ども」は、「大人」に比べれば、常に「弱い者」として見てあげる必要があります。
大人には簡単にできることでも、子どもには難しい、ということはたくさんあります。
だから子どもは、成熟した大人に比べれば「見えないところを見る力」は弱いと言えます。
また、「お年寄り」も子どもと同じように「弱い者」として見てあげる必要があります。
人は誰だって、歳をとれば「今までできていたことができなくなる」ということを経験していきます。
そうすると、今までは「人の気持ち」などの「見えないところ」を見ることができたはずの人であっても、自分が弱っていくことで「他人どころか、自分のことを見るだけで精一杯」という状況になってしまっても仕方がありません。
つまり、「子ども」や「お年寄り」に対しては、「見えないところが見えない」のも仕方がない、として受け止めてあげる必要があるのです。
このことは、さらに「病人」や「けが人」にも当てはまります。
病気やけがで弱っている人は、当然、「見えないところを見る力」も落ちてしまうことでしょう。
他にも、仕事や勉強で大変な状況が続いていたり、そのことで心身共に疲れていたりするような場合も「見えないところを見る力」は落ちてしまいます。
今日の冒頭でも書きましたが、「見えないところを見る力」は、「人の気持ちを知る力」となります。
この力が弱ってしまっているということは、そもそも、その人自身が「弱っている状態にある」ということなのです。
そして、人間、誰だって生きていればそういう状態になることはあるでしょう。
だから、「人の気持ちを知ることができない人」が身近にいたときは、逆に、その人のことをいたわってあげるくらいの気持ちを持つと良いのです。
もちろん、中には「人の気持ちをはじめから考えようとしない人」もいます。
能力は高いのに、そういう気持ちを持とうとすら思わない人がいるのも事実です。
ですが、いつもなら人の気持ちを考えようとする人が、たまたま「弱っている」ということから、人の気持ちが読めなくなってしまっている、ということもあり得ます。
無理難題と思われる業務命令を突きつけてくる上司も、
こちらの意図をくむことができずに失敗を繰り返す部下も、
仲間との齟齬(そご)に反発して自分の主張を通すことに必死の同僚も、
自分の子どものことで周りが見えなくなっているモンスターペアレンツも、
自分が求めるサービスを受けられないことに苛立って過剰なクレームをつけてくるお客様も、
みんな、みんな、「実は弱っているからこそ、必死になっている」のかもしれません。
そして、「弱っているから必死になっている」ということが分かったならば、こちらはその相手をいたわってあげると良いのです。
こちらの話を聞いてもらうには、まず、相手のことを肯定しなくてはなりません。
「話し上手」というのは、「相手が弱っている」ということを真っ先に想像することができる人なのかもしれませんね。