<前回の続き>

(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズの記事一覧はこちら。)

「できる人」は「考える人」である。

「考えない人」は「できる人」にはなれない。

「考える」というのは、頭が健康ならば誰でもできること。

すなわち、誰でも「できる人」になれる。

と、このような端的な図式から始まったこのシリーズですが、要するに「考える」ということがとても大事だという話です。

ところが、「考えすぎはよくない」という言い方を耳にすることがあります。

「考えすぎると、かえって答えが見つからないことがあるから、あまり考えない方が良い」という主張です。

これは、時には役に立つこともありますが、私(久末)の個人的な意見としては、ほぼ9割近くが役に立ちません。

なぜなら、「考えすぎる」ということが何を意味しているのか、このアドバイスをしている人も、アドバイスを受けている人も、あまり真剣に考えてはいないことが多いからです。

多くの場合は、「考えすぎる=同じ思考を何度も繰り返す」という意味で捉えられています。

しかし、それは「同じ思考」だから問題なのであって、「違う思考」を取り入れようとするならば話は別です。

「why」という疑問詞を使って尋ねられた時、答えを「1つ」しか出せなかったとしたら、それは明らかに「思考不足」です。

「別の答え」があるのではないか、と一度出た答えに対して異議を唱えてみる。

「異議を唱える」ということを自分に向けてすることこそ、「別の答え」を見つけるきっかけとなるのです。

ところが、「一度出た答え」に対し、疑いを持つことなく、何度もその答えに固執してしまうと、いつまでも思考がグルグルと同じところを回ってしまいます。

1つの同じ答えをグルグルと繰り返しても、問題に対する答えが得られる可能性は低いでしょう。

そのような状態になってしまっている人に、「考えすぎは良くない」というアドバイスは、はっきり言ってナンセンスです。

1つの答えをグルグルと繰り返している人に必要なのは、「考えすぎは良くない」というアドバイスではなく、「今、自分が出している答えに異議と唱えてみて、他の答えを探しなさい」というアドバイスです。

それは、車を運転して目的地に向かうようなものです。

目的地に到達するには、「アクセル」を踏まなくてはなりません。

ところが、アクセルをいくら踏んでも、「袋小路の行き止まり」にぶつかってしまっては、どうにもこうにも目的地には到達できません。

そのような状態の人に対して、「アクセルを踏みすぎてはダメだよ。ブレーキを使って止まりなさい。」と言っても、結局その人は目的地には到達できないのです。

アクセルを踏んだら行き止まりにぶつかって苦しい、だからブレーキを踏みなさい、というのはナンセンスです。

一時はブレーキを踏んで止まったとしても、再びアクセルを踏み出したら、またすぐに行き止まりにぶつかってしまうのですから。

そこで必要なのは、一度バックして、今来た道が間違っていたのではないかと自分自身に異議を唱え、「ハンドル」を使って方向を切り替えることです。

「ハンドル」を使って、あの道、この道、色々な道を探して走ってみる。

当然、「アクセル」も踏まなくてはなりません。

「ハンドル」を使わずに、方向を変えずにいれば、目的地には到達できません。

「アクセル」による推進力が問題なのではありません。

「ハンドル」を使わないことが問題なのです。

「考えすぎは良くない」というアドバイスが出てくる状況は、たいていの場合は「考え方を変えなさい」というアドバイスに置き換えられます。

「できる人」はたいていいつでも「複数の答え」を用意しています。

しかも「他にもまだ答えがあるのではないか」と自分自身の答えに対して、常に異議を唱えています。

アクセルによる推進力がある人に、「アクセルを使うな」というのは、何とももったいない話です。

アクセルを踏む力、考えようとする力を止めようとしてはいけません。

「もっと色々な方向で考えてみよう」というアドバイスを、人にも、自分にも、もっと言ってみてはいかがでしょうか?

(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズの記事一覧はこちら。)

※記事をお楽しみ頂けましたら、以下のランキングにご協力をお願いします。
ポチッと押して頂ければ嬉しいです。(久末)


にほんブログ村


英語 ブログランキングへ