<前回の続き>

(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズのこれまでの記事一覧はこちら。)

前回、「主観」というものについて書きました。

「主観」というのは、すなわち、

・何かついて質問された時に、パッと思いつく一番最初の自分の考え方
・目の前の出来事などに対して、一番最初に感じる自分の中の印象
・何かの説明などを聞いた時に、自然に自分の中に起きる理解

などのことです。

「主観」というものは、自分にとって自然であり、簡単であり、楽(らく)であり、そして、考えるまでもなく、自分には疑いのようのない「真実」と言えます。

言い方を変えると、「主観」というものは、どこか「感覚」とか「直感」といったものにつながっているように思えます。

このようなものは、誰にでも備わっています。
「主観」のない人などいません。

最初に自分から見えるものを、そのまま見る。

これが主観というものであり、これがあってこそ人間というものです。

 

ところが!

この主観だけで生きていくと、どうしてもうまくいかないことが出てきます。

主観を持っているのは自分だけではなく、自分にかかわる周囲の人達もまた、それぞれに主観を持っています。

仮に100人の人がいたとしたら、同じ1つの事柄に対して、100人いたら100通り、とまでは言いませんが、すくなくとも、数通りから数十通りには分かれるのではないでしょうか。

自分の感じ方は、そのうちの1つに過ぎません。

そして、100人それぞれが持っている主観というものは、それぞれ本人からすれば「真実である」と感じてしまうものです。

つまり、自分の主観こそが「正しい」と主張するということは、他の99人の感じ方のうち、自分とは異なる見方については「間違っている」と主張することと同じ、ということです。

そして、他の人も、同じように主張してきて、お互いが妥協をしなかったならば、そこには「争い」が生じます。

言うなれば、この世の争いの全ては、「主観同士のぶつかり合い」なのです。

国家間の戦争も然り。
個人レベルの喧嘩も然り。

「主観」というものが原因となって、自分と他者との間に「争い」を生み出すのです。

人とのコミュニケーションがうまく行かない時、そこには「お互いが自分の主観だけを主張している」という原因があるかもしれません。

 

さて、自分の主観だけを強く持つことによる弊害は、人とのコミュニケーションだけではありません。

自分が「何かを身につけていこう」として努力する時にも、「主観」というものが邪魔をすることがあります。

前回も描きましたが、主観から見えるものは「1つ」だけです。

何かに取り組む時に、自分から自然に見える「1つの観点」だけで見ているうちは、いくら努力しても、いくら時間をかけても、全く成長しないということがあるのです。

そこで、主観ではなく、客観というものを意識してみるということが重要になってきます。

さて、次回こそ「客観」というものについて書きますね。

どうぞお楽しみに!

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