<前回の続き>

(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズのこれまでの記事一覧はこちら。)

前回、「客観とは、頭の中に浮かぶ映像である」と書きました。

「どんどんできるようになっていく人」は、この「客観」の能力に優れています。

逆に、いくら努力しても「なかなかできるようになっていかない人」は、たいていこの「客観」の力が弱いと言えそうです。

しかし、「客観」の力は、健康な頭脳を持っていれば、誰でも持っているはずです。

考えることができない人、あるいは記憶を留めておくことができない人は、もしかしたら客観の力を高めることはできないかもしれません。

しかし健康な頭脳を持っている人ならば、仮に今はその能力が弱かったとしても、訓練によって高めて行くことができるのです。

では、「客観的な目」を養い、高めていくにはどのようなことをすれば良いでしょうか?

「客観」というのは、前回も書いた通り、「考える」という行為の先に得られるものです。

つまり、「考える」ということが適切にできなければ「客観」のイメージも頭の中に浮かびません。

ということは、「考える」という訓練をしていけば、客観のイメージを作り出すこともやりやすくなるはずです。

では、「考える」というのは、どのようにして訓練していけば良いでしょうか?

これまた難しい問題ですね。

幼稚園、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、など、人は成長に合わせて「学ぶ場」を変えていきます。

人が考えるようになるのはいつからでしょうか?

おそらく、「言語の発達」と「考えるという行為」には密接な関係があるものと思われます。

「考える」というのは、頭の中で、「1つの情報と別の情報をつなげていく」という行為のことです。

0歳児が「考える」という行為をするかどうかは分かりませんが、少なくとも、何かしらの言葉を発するようになる年齢(1歳~3歳ぐらいの間)にはもう「考える」ということを始めるのではないでしょうか。

もちろん、程度の差は個人個人異なるでしょうから、一概に「何歳から考え始める」とは言い難い部分があると思います。

では、小学生はどうでしょう?

この頃になると、色々なことを既に考えているはずです。

中学生になればもっと考えるでしょうし、高校生、大学生、社会人となれば、さらに考えることでしょう。

しかし、人によっては、「考えるのが苦手」とか「考えるのが嫌い」という人もいるでしょう。

そういう人は「考えることができない」のではなく、「考える練習をあまりしないで生きてきた」というだけだと思います。

「考える」というのは、練習すれば必ずできるようになります。

しかし、練習の機会が与えられなければ、当然、そのことがうまくなるはずもありません。

うまくいかなければ「嫌い」になるのも当たり前。

つまり、「考えるという練習をしない」→「考えるのがうまくいかない」→「考えるのがきらい」→「ますます考えるという練習をしない」という悪循環になってしまうのです。

人生のどこかのタイミングで、「考える」ということを訓練するだけで、この悪循環から抜け出すことができるのです。

そして、「考える」ということができるようになれば、「客観」のイメージを頭の中に作り出すこともできるようになるでしょう。

そうすれば、「努力してもなかなかできるようになっていかない」という自分を変えることができます。

「努力した分だけ、どんどんできるようになっていく。」

このような自分になりたいと願う人は多いはずです。

そうなるための基本的な力が、「考える」という力なのです。

まわりを見渡してみると、「いろいろと考える人」と「あまり考えない人」とに分かれるように思いませんか?

「考える人が努力する」のと「考えない人が努力する」のとでは、同じ「努力する」でも結果が全然違います。

「努力すれば良い」のではありません。

「考えながら、客観のイメージを頭の中に作りながら努力をする」のです。

せっかくの「努力」を無駄にしないためにも、まずは、「考える」ということについて意識を高めてみましょう。

次回、どのようにして「考える」を練習していけば良いか、もう少し具体的に考えてみましょう。

どうぞお楽しみに!

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