英語を勉強していて、「なかなか上達しない!」とやる気が出なくなってしまうことはきっと誰にでもあることでしょう。

努力していることがなかなか身につかない。
練習していることがなかなか上達しない。

このような「苦手」を克服していくためには、何をどうすれば良いのか、ということを考えていくこのコーナー。

前回まで、色々な観点から考察してみました。
(前回までのテーマ記事一覧はこちら。)

今回は、「代償」と「ご褒美」という観点から考えてみましょう。

「苦手」を克服していくには、通常、何らかの「代償」を払わなくてはなりません。

代償とは、「お金」「時間」「気力」「体力」「精神力」などです。

これらの「代償」を支払ってまで取り組む以上、苦手を克服した暁(あかつき)には、何かしらの「ご褒美」を求めてしまうのが人間というもの。

そのご褒美が何なのかをはっきりさせることが、「目標を定める」ということになります。

「苦手なことを克服したら、いったいどんなご褒美があるのだろうか?」
「苦手なことを克服したら、いったんどんなことができるようになるだろうか?」

この問いかけを常に自分に投げかけ続けることで、人は「目標」を持ち、その目標に向かって「エネルギー」を出し続けることができます。

ご褒美は、「代償」に見合うものならば何でも構わないでしょう。

「代償」に見合わない程度のご褒美では、目標そのものがぐらついたり、エネルギーが出なくなったりしまいます。

だけど、これが難しい。

実際に苦手なことを克服しようと「代償」を払い始めてみると、想像していた以上に辛かった、などということもあります。

当初、頭の中で描いていた「ご褒美」では、その「代償」に見合わなくなってしまった、ということがあり得るのです。

そこでどうするか。

1.「ご褒美」のレベルをそのままにし、「代償」のレベルを落とす
2.「代償」のレベルをそのままにし、「ご褒美」のレベルを上げる

この二者択一になるのではないでしょうか。

「代償のレベルを落とす」ということは、少し力を抜いた感じで取り組む、ということです。

お金、時間、気力、体力、精神力など、自分が支払っている「代償」のレベルを、想定している「ご褒美」に見合うところまで落とす、ということです。

この選択は、まず考えるべきでしょう。

代償のレベルを完全に「ゼロ」にしてしまうよりも、「代償のレベルを落として継続する」方が、確実にゴールにたどり着けます。

しかし、代償のレベルを落とした分だけ、ゴールへたどり着くまでの時間も余計にかかってしまうことを覚悟しなくてはなりません。

では後者はどうでしょう。

代償のレベルを落とさず「ご褒美」のレベルを上げる。

これならば、ゴールへたどり着くまでの時間が短縮されることはありません。(とは言え、苦手克服までの時間がどの程度なのかはやってみなくてはわかりませんが。)

しかし、「代償」は大きいままですので、それに見合う程度まで「ご褒美」のレベルを上げなくてはなりません。

ご褒美のレベルが上がり、「そのご褒美を手にすることは、とても価値があることだ!」と思えたならば、大きな代償を支払ってでも苦手を克服したいと願う気持ちが再び芽生えることでしょう。

では、ご褒美のレベルを上げるにはどうしたら良いでしょう。

「ご褒美」には、「直接的なご褒美」と「間接的なご褒美」があると言えます。

直接的なご褒美というのは、例えば、次のようなものです。

・苦手な数学の問題を解けるようになったら、数学の成績が上がった

・苦手な車の運転を克服したら、車で通勤ができるようになった

・苦手なパソコンが使えるようになったら、仕事の効率が上がった

このように「苦手を克服したこと」が、そのまま「ご褒美」となるというのが「直接的なご褒美」です。

「直接的なご褒美」の種類は「どんなことを苦手としていたか?」によって異なります。

これに対し「間接的なご褒美」というものもあります。

間接的なご褒美というのは、「苦手を克服していくことによって、自分が成長したと実感すること」です。

「なんだ、そんなことか」と思った人、ちょっと待って下さい。

人は、「成長」というものを目の当たりにすると、心が喜びます。

自分の成長だけでなく、「自分の外にあるものの成長」を目の当たりにしても、心が喜ぶものです。

自分の子どもの成長、自分の生徒の成長、自分の部下の成長。

あるいは人でなくても、会社の成長、地域の成長、街の成長、国の成長。

育てている植物や農作物の成長、かわいがっているペットなどの成長。

こういうものを目の当たりにして「心が喜ばない」という人はいるでしょうか。

「苦手を克服する」ということは、「成長」を目の当たりにするということです。

「成長」とは、それ自体が「心を喜ばせること」なのです。

これは、苦手を克服して得られる「直接的なご褒美」とは言えないかもしれません。

しかし、苦手を克服するために支払う「代償」に見合うほどのご褒美ともなり得ます。

結局は、「自分の成長」というものを「ご褒美」として認識できるかできないか、という個人の「価値観」によるところが大きいと言えます。

「自分の成長」に対して、あまり大きな喜びを感じ取れない人は、この「間接的なご褒美」に価値を見出すことはできないでしょう。

しかし「自分の成長」に対して、この上ない喜びを感じ取れる人は、もしかしたら、「直接的なご褒美」よりも「間接的なご褒美」の方に大きな価値を見出すかもしれません。

苦手なことを克服しようと「代償」を支払っていくうちに、「これは辛い」「ご褒美に見合わない」と感じた時には、「直接的なご褒美」を想像していくことも大事ですが、それ以上に、「間接的なご褒美」に目を向けると良いかもしれません。

「代償」と「ご褒美」を見比べて、「代償」の方が上回ってしまうと、おそらくそこで「ギブアップ」となる可能性大です。

苦手なことに取り組んでいて苦しい時には、「代償」よりも「ご褒美」の方を上回るように、自分の価値観を見直してみてはいかがでしょうか。