<昨日の続き>
昨日は、人が生きていく上で関わる「ルール」には、以下の3つがある、ということを書きました。
1. 「自然」が作ったルール
2. 「他人」が作ったルール
3. 「自分」が作ったルール
1つ目と2つ目は、自分が何もしなくても必ず身の回りに存在します。
1つ目の「自然」が作ったルールは、よほど科学技術によって克服されなければ、おそらくずっと「絶対的なもの」として従わなくてはなりません。
2つ目の「他人」が作ったルールは、自分が未成熟であればあるほど「絶対的なもの」のように捉えがちですが、必ずしも「ずっと絶対的なものである」とは限りません。
例えば、幼少の頃は「親が決めたルール」は絶対的なものと言えます。
しかし、歳を重ね、経済的にも精神的にも自立に向かって行くと、そのうち「親が決めたルール」には従わなくなっていきます。
その代わりに芽生えてくるのが、3つ目の「自分が作ったルール」というものです。
人は成熟していくにつれて、自分がやっている「仕事」や「勉強」に対して、あるいは自分自身の「生き方」に関して、「こうしなければならない」「こうでなくてはならない」という「ルール」を自分自身に定めていきます。
まあ、時にはそういうルールを自分で決めない人もいますが、「自分でルールを定めない」ということ自体も「自分のルール」とも言えます。
自分で自分にルールを定めようとしない人は、言うなれば「自然や他人が作ったルールに身を任せている」ということになります。
これまた「プラス」にも「マイナス」にも捉えられますね。
「自然や他人が作ったルール」に身を任せていくことは、自分の「自我」さえ芽生えてこなければ、「楽(らく)」な生き方と言えるかもしれません。
「人も自然のうち」と考えるならば、自我を捨て、自然と共に生きるのが良い、とする考え方にも納得できる部分もあります。
しかし、「自分のルール」があるからこそ、「自然」や「他人」を乗り越えて行くことができるのではないか、とも思えるのです。
例えば、科学技術の最先端にいる人達は、「自然に身を任せる」ということとは全く逆のことをしていることもあります。
自然界ではあり得ないようなことを、科学技術によって実現させようとします。
こうやって私が考えていることを、全く会ったこともない読者の方に伝えることができるのも科学技術のおかげです。
だからと言って、科学技術万歳!ということでもありませんね。
私が言いたいのは、「自然」が生み出したルールであっても、それを乗り越えて行くことができるのは、そこに「自然」に逆らおうとする意志が存在するからだ、ということです。
あるいは「他人」が作ったルールに対しても同じで、それに逆らおうとする意志が必ず存在するものです。
そういう意志のことを「自我」と呼びます。
自我があるからこそ、一見「絶対的なもの」と思えてしまうルールに対してさえも、乗り越えて行くことができるのです。
そうやって「より高いところ」を目指す人は、必ず「自我」を強く持っていて、そして必ず「自分で決めたルール」というものを定めようとします。
しかし、自我が強い人ほど、自分自身を苦しめる傾向にあるとも言えるのです。
「こうしなければならない」
「こうでなければならない」
自分で自分に決めておきながら、そのことで自分を苦しめる。
自分で決めたルールならば、本当は自分で「改変」することだってできるはず。
しかし、それを許さないのもまた「自我」なのですね。
英語を教えていると、時々、そういう「自我」が極めて高い生徒を見かけます。
「自然」や「他人」が決めたルールというものは、簡単に乗り越えられるものではありません。
時には、そのまま受け入れてしまった方が良い時だってあります。
しかし、自我があまりに強すぎると、「自然」や「他人」が決めたルールを受け入れることができず、それでいてそれを超える力を手にすることもできないまま、「自分」の決めたルールにしばりつけられ、ただ「苦しむ」ということになるケースもあります。
人が精神的に病んでしまう原因の大半は、こういう「自我の強さ」に起因しているのではないかとさえ思います。
かくいう私自身もそうです。
お金をもらって英語を教えている以上、必ずその生徒をできるようにさせ「なくてはならない」というように思っている節があります。
ところが、当たり前の話ですが、人の成長というものは、他人が自由にコントロールできるものではありません。
それなのに、英語がなかなか上達していかない生徒がいた時に、そのことで私はひどく悩み、苦しみます。
どうにかしなくてはならない。
できるようにさせなくてはならない。
時には、あまりに悩んでしまって、夜眠れなくなることがあります。
生徒たちのことを考えて、眠れなくなったり、あるいは眠れても夢にまで出てくる、なんてことはしょっちゅうです。
でも、自分を悩ませ、苦しめているのは、私が自分で決めたルールなのですね。
「自然」や「他人」のルールを受け入れ、それに身を任せる、ということをもう少しでもできるならば、おそらく、私の悩みや苦しみは軽減されます。
そう思う一方で、「自然」や「他人」のルールに身を任せているうちは、生徒が自力で成長していく以上には成長させることはできない、とも思ってしまうのです。
教師として、生徒が自力で、自然のスピードで成長していくのを待つことは大事ですが、生徒側がそれを望んでいない、つまり「もっと早く成長したい」と願っていることも事実なのです。
「自分」でルールを定めることによって、「自然」や「他人」が決めたルール以上のことを実現できる可能性が出てきます。
しかし、「自分」でルールを定めることによって、自分を悩ませ、苦しめる結果となることもあります。
このバランスが難しい!
でも、あまりに悩んでしまい、あまりに苦しい時には、「自分で決めたルール」を見直してみるということが、とっても大切なのだと思います。
そして、ある程度は「あるがままを受け入れる」ということにも目を向けると良いかもしれません。