<昨日、一昨日からの続き>
さて、昨日と一昨日の2日間、「ルール」というものが「人を苦しめる原因」になっているのではないか、書いてきましたが、「ルール」というものは、常に「人を苦しませるもの」であるわけではありません。
「ルール」を知り、理解し、覚えてしまえば、そのルールが適用される集団の中では、「そのルールに従いさえすれば、その集団になじむことができる」ということになります。
これはむしろ「人を心地良くさせるもの」と言えます。
集団の中に、ルールを無視した者が入ってくれば、当然その者は「無法者」として扱われてしまいます。
無法者は、程度の差はありますが、たいていは嫌われたり、無視されたり、敬遠されたりします。
ルールを知らず、ルールを理解せず、ルールを覚えていない者は、そのルールが適用されるところでは「歓迎されない」ということになりますね。
このことは、「英語」などの言語に関しても当てはまります。
どんな言語も、その言語ごとの「ルール」というものを持っています。
1. 単語の選び方のルール
2. 単語の並び順のルール
3. 単語の変化のさせ方のルール
4. 文の発音のルール
1つ目は「語彙の知識」、2つ目と3つ目は「文法の知識」、そして4つ目は「発音のテクニック」です。
これらのルールを知らず、理解せず、覚えてもいない者は、その言語が扱われるところでは「無法者」の扱いを受けてしまう可能性があります。
しかしそんなことを言うと「それは違う!」と反論する声も聞こえてきそうです。
言語というものは必ず「人間と人間」のつながりとして使われるのだから、言葉のルールを知らなくても「心で通じるはずだ!」ということを主張する人もいるかもしれません。
確かに、その通り。
私だって16歳の頃、周りに1人も日本人がいないアメリカの田舎町に10ヵ月間留学していましたから、「心だけで通じることがある」ということはよくわかります。
しかし、「心で通じる」と言いながらも、「やっぱり心だけでは通じない」という状況だって必ずあるのです。
その時に、自分の助けとなってくれるのが、「言語のルール」というものなのです。
上記4つのルールを知り、理解し、覚える、ということを達成した人間だけが、「心で通じる」というだけでは足りない時に、外国語でも人と理解し合うことができるのです。
世の中には、英語学習の方法として、
「英語は習うより慣れろ」とか、
「ブロークンでも良いからとにかく使え」とか、
「文法よりもとにかく会話だ」とか、
「発音なんてどうだって良い」とか、
このようなことを主張する人がたくさんいますし、確かにこういう観点は、私自身も理解できないことはありません。
しかしこういう観点が「ルールを覚える必要は一切ない」という主張にまで発展してしまうと、それは「無法者のままで良い」ということになってしまいますね。
英語などの外国語を学習する以上、その言語の「ルール」というものを知ろうとしたり、理解しようとしたり、覚えようとしたりすることは、その言語を使っている人達への「礼儀」として必要なことだろうと思います。
「ルールを知ろうと努力しない者は歓迎されない。」
「ルールを知ろうと努力する者は歓迎される。」
これはどの集団にも共通して当てはまることではないでしょうか。
そして、ルールを知ろうと努力し、理解しようと努力し、そしてついには覚えてしまいさえすれば、そのルールが適用される集団の中では、「心地良い」くらいに歓迎されるのです。
それは、こちらだけでなく、迎え入れてくれる相手側にとっても同じく「心地良いこと」なんだろうと、思うのです。
「ルール」というものは、人を苦しめるだけでなく、人を心地良くさせてくれるものでもあるのです。
英語を使う機会がありながらも、「語彙」や「文法」や「発音」が嫌いだ、と言って取り組もうとしていない人は、ルールを覚えた後の「心地よさ」というものを是非想像してみてほしいと思います。
<おしまい>