日本人である私達にとって、「文字が読める」というのは当たり前に思われることかもしれません。

しかし世界を見渡せば、「文字が読める」ということが当たり前ではない国もあります。

「文字を読むこと」あるいは「文字を書くこと」を「識字(しきじ)」と言います。

日本人の識字率は「99.8%」とも言われ、ほぼ100%に近い人が文字を読んだり書いたりすることができると言われています。

かつては「文字が読めない人」のことを「文盲(もんもう)」と呼んでいました。

しかし「盲」という表現が差別的であるということから、文盲という言葉は避けられる傾向にあり、今では「非識字者」という言葉で表現されるようです。

前回の記事で(こちら)、「言語の習得」の度合いを測る指標の1つとして「音が見える、文字が聞こえる」ということを挙げました。

「文字」というのは、「平面」の世界のもの、つまり「二次元」の世界のものです。

これに対し「音」というのは、「空気を伝っていく振動」ですから「立体的」な世界のもの、つまりは「三次元」の世界のものと言えます。

あるいは、「音」というのは普通の「立体」の物質とは違い、「時間」の経過に伴って刻一刻と変化していくものとも言えますから、「時間」の概念を足すと「四次元」とも解釈される場合もあろうかと思います。

いずれにせよ、「音」は「二次元(平面)」の世界よりも上の次元のものと言えるのです。

上述したように、「識字」というのは「文字を読んだり書いたりすることができる」ということです。

「文字を読む」とか「文字を書く」とかができるということは、言い換えるなら、「文字を音に変換する」あるいは「音を文字に変換する」ということができるということですね。

日本人は識字率がほぼ100%ですから、たいてい誰もが「音」という三次元(あるいは四次元)のものを耳で捉えながら、それを「文字」という二次元のものとして頭の中で浮かべることができます。

また逆に、「文字」という二次元のものを目から読み取り、それを「音」という三次元(あるいは四次元)のものとして再現して口から出すことができるのです。

「文字」と「音」は次元が異なるものであるにも関わらず、識字ができる人間は、この両者を「変換する」ことができるのですね。

このことを「外国語学習」に当てはめると、どのように考えていくことができるでしょうか。

また次回、考察していきます!
どうぞお楽しみに。

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