<昨日の記事の続き>
皆さん、「私は○○である」の「○○」に入る言葉を探してみましたか?
「私は野球ファンである」
「私はサッカーファンである」
「私は誰々の恋人である」
「私は誰々の夫/妻である」
「私は父親/母親である」
「私は~家の長名/長女である」
「私は~家の一人息子である」
「私はMacユーザーである」
「私は料理研究家である」
「私は無類の酒好きである」
「私は鉄道マニアである」
「私は医者の卵である」
「私はお笑い芸人である」
「私は■■の卒業生である」
「私はマラソンランナーである」
「私はヨガインストラクターである」
「私は楽天家である」
「私は努力家である」
「私はきれい好きである」
「私は仏教徒である」
「私はクリスチャンである」
「私は武道家である」
「私は大阪人である」
「私は松戸市民である」
「私はゴールド免許保持者である」
「私は営業マンである」
「私は経理部の事務員である」
「私はデザイナーである」
「私はエンジニアである」
「私は作家である」
「私はインテリアコーディネーターである」
「私はものづくりクリエイターである」
「私は美食家である」
「私は薬剤師である」
「私は翻訳家・通訳者である」
「私は専業主婦である」
「私は子育てママである」
「私はヘルパーである」
「私は普通のおっさんである」
「私は今時の女子である」
「私は引退した自由人である」
・・・まだまだ、いくらでもありますね。
「どれにもあてはまらない…」とか「ぴったりくる言葉が見つからない」とか「自信を持って人に言えるものがない」とか言って落ち込むことはありません。
これらは単なる「言葉」です。
単なる言葉なのですが、「言葉」にすることによって、言葉にする前よりもはっきりと「線引き」をすることができるのです。
線引きとは、つまり、「他者との区別」ということであり、「プライド」とも言い換えられます。
例えば「私はサラリーマンである」と言ったとしましょう。
その場合、「サラリーマン」と「サラリーマン以外」を明確に分け、その上で自分は「サラリーマンの1人である」ということになります。
「サラリーマン以外の人」には決してできないことを、自分はできる。
「サラリーマン以外の人」は決してやらないことを、自分はやる。
「サラリーマン以外の人」は決して目標にしないことを、自分は目標にする。
なぜなら「私はサラリーマンだから」です。
「私は○○である」という言葉を自分に向けるということは、「○○ではない人」にはできないことを自分にはできると認識することでもあります。
「私は普通のおっさんである」という場合であっても、「普通ではないおっさん」や「おっさんではない人」には決してできないが自分ならできる、ということが必ずありますね。
物事を「マイナス」に捉えるか「プラス」に捉えるかは人それぞれ。
自分の存在を「高め」に捉えるか「低め」に捉えるかも人それぞれ。
プライドを高く持つことが良いこともあれば悪いこともあります。
「私は○○である」ということを明言しない方が良いこともあれば名言した方が良いこともあるかもしれません。
ただ、「自分が何をすべきか?」「自分に何ができるのか?」を見失ってしまっている時には、「私は一体何者だろうか?」と自問すると良い、と思うのです。
<おしまい>
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