人が何かを身につけるということは、そのことを「インプットする」ということと言えそうです。
例えば英語を身につけたいならば、「英語に関する知識など」をインプットするということです。
「身につける=インプットする」というのは、一見正しいように見えますが、実はこれでは不十分ですね。
自分の中に英語の知識が入っていても、実際にそれらを「自分の外に出して使う」ということができなければ意味がありません。
英語は「コミュニケーション」のためにあるものです。
自分の中に英語の知識があるだけでは使えません。
「自分の外に出して使う」ということがどうしても必要となります。
「外に出す」つまりは「アウトプットする」ということがとても大事です。
元来、インプットするのとアウトプットするのでは、「アウトプット」する方が難しいですね。
「アウトプットする」というところまでできるようにならば、そのことに関しては一人前と良いかもしれません。
しかし、「アウトプット」の前には、やっぱり「インプット」が必要です。
たぶん、目標とする「アウトプット」の10倍か、100倍か、いや、それ以上の「インプット」をしなくては、アウトプットまで到達しないかもしれません。
「本を書きたい」と思った人は、書きたい本の冊数の何十倍も、何百倍も、きっと本を読むことでしょう。
たくさんたくさんインプットしたからこそ、アウトプットができるようになるわけです。
だから、順番としては「インプットが先で、その後にアウトプットがある」と考えるの自然です。
ところが、何かを身につけていくには、「心構え」としてはその逆の方が良いと言えます。
つまり、「どのような形でアウトプットしようか」ということを先に自問しておいてからインプットを開始する、ということです。
「何かの目標」を持って取り組むのと、何も目標を持たずに取り組むのとでは、その取り組み自体に大きな差が生じてきます。
「インプットの後で具体的なアウトプットのイメージがある」という場合の方が、同じインプットをするのでも、何をインプットすべきなのかをきちんと考えたり、細かく吸収しようとするものです。
例えば、初めて訪れる国に10日間滞在したとします。
その滞在の後で、「その国に関するレポートをまとめて報告しなくてはならない」という必要性があったとしたらどうでしょう。
あとで「アウトプットする」という前提ですごす10日間は、そういう前提のない10日間と比べ、観察の仕方がずいぶん異なるのではないでしょうか。
何をどのように報告すべきか、という観点で物事を観察するでしょうし、そもそも「何を観察すべきで、何は観察すべきでない」というような線引きも明確となることでしょう。
ところが、アウトプットをする必要がない状況で過ごす10日間は、おそらく、ただ偶然目の前に現れたものをそのまま見て「わー、すごい」で終わってしまうことでしょう。
「後でアウトプットする」という意識を「先」に持っているだけで、インプットの「質」が全然違ってくるわけです。
英語を身につけようとする場合も同じ。
自分はいつか、「発音」や「文法」や「語彙力」をフル活用して英語を使うんだ、という強い思いを持って取り組めば、それだけ学習の際のインプットの質も高まることでしょう。
実際の行為としては「インプットが先」となるのが当たり前かもしれませんが、心構えとしては「アウトプットが先」というのが何かを身につけていく秘訣なのかもしれません。
<おしまい>
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