「英語ができない」と嘆いている日本人はたくさんいます。

そういう人達が、全然努力をしていないかと言えば、そうでもありません。

意外なほど一生懸命に努力しているケースもよくあります。

でも、どういう方向で努力しているのかを聞いてみると、「それじゃあ無理だ」と思われるようなこともよくあるのです。

 

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問題はいくつもありますが、まず根本的な問題として、「英語は言語である」という大前提を無視したものがあります。

そんなの当たり前だ、と思っている人もいるかもしれませんが、多くの英語学習者にとって、英語は「言語」というよりも「勉強の科目」となってしまっているという事実があります。

言語」というものは、まず「耳が聞こえる」ということが前提となって身についていくものです。

生まれたての赤ん坊が母語を覚えていくプロセスは、まさに「耳が聞こえる」ということが必須条件となっています。

もし、不幸にも生まれつき耳が聞こえないという障害があったとしたならば、いくら「頭が良い子」であったとしても、母語を覚えていくことはとても難しいでしょう。

逆に言えば、さほど頭が良くなかったとしても、「耳が聞こえる」という条件をクリアしていれば、「言語」というものは身につけていくことができるのです。

 

ところが、「勉強の科目」として英語を捉えてしまうと、まず、「耳」を使わずに身につけようとすることになります。

そこには「頭の良い子はできるようになるけれど、頭の良くない子はできるようにならない」という図式が存在します。

もちろん、「頭の良さ」というものは、母語であれ外国語であれ、言語習得を大いに助けてくれます。

しかし、「言語」の修得において、「頭の良さ」は必須条件ではありません。

勉強の科目」として捉えて英語を学ぼうとすることも、部分的な要素としては必要です。

しかし、そのことだけに偏ってしまい、「英語は、本来、言語である」という大前提を忘れてしまうと、せっかく努力しても成果につながらない可能性が大いにあります。

 

「英語は言語である」という前提に立ち、どうやって学んでいけば良いかを真剣に考えていくことが、英語学習者にはまず最初に大事なことなのではないかと思います。

 


本校では、「英語は言語である」という大前提に立ったレッスンを行っています。

その一方で、中学生・高校生・大学受験生のための「試験・受験」にも対応すべく、「勉強の科目」としての要素も取り入れています。

「言語」であり、同時に「勉強の科目」でもある、という考え方に基づいて、バランスよく学んでいくことができます。

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