(「残念な英語学習法」シリーズ過去記事はこちら

 

「英語が話せる」ということを、たいそう難しいことのように捉えている人がたくさんいるように思います。

もちろん、英語が話せるようになることが「簡単なことだ」とは言いません。

しかし、できるようになってしまえば、「思っていたほど難しいことではなかったな」と思う人は結構多いのではないでしょうか。

「難しい文」が作れるようになるよりも、まずは「簡単な英文」を作れるようになることがとても大切です。

今日はその辺りについて一緒に考えてみましょう。

 

<アメブロからの続きはここから>

 

前回と前々回で、「易しい英文を、時間をかけずにたくさん作る」というのが英語学習法として効果的だ、と書きました。

私(久末)は、自分の英語教室で英語を教えるという仕事以外に、「国際会議」というものに関わる仕事をしてきました。

「国際会議」という場では、日本人の多くが驚くほど「簡単な英文」が使われていることに気がつきます。

そこでは、「難しい英文」はあまり見かけられません。

国際会議という場であっても、「難しい英文」よりも「簡単な英文」がたくさん使われているのです。

つまり、「簡単な英文を簡単につくる」ということができなければ、世界で通用することは難しいということです。

 

「英語」というものは、「球技」などのスポーツに似ています。

「球技」では、「自分の身体をコントロールする」ということが要求されます。

例えば、「バスケットボール」という球技について考えてみましょう。

全くバスケットボールをやったことのない人が、いきなり「試合」に出たところで、何もできずに終わってしまうでしょう。

それどころか、チームの足を引っ張ってしまったことで自己嫌悪に陥ってしまうかもしれません。

そうやって「試合」で悔しい思いをした人は、今度は仲間の負担にならないように、きっと「個人練習」をすることでしょう。

「個人練習」というのは、例えば、「ドリブル」や「パス」などをひたすら練習するということです。

あるいは、「体力」をつけるために、筋トレをしたり、走り込みをしたりします。

さらに「ルールを覚える」ということやらなくてはなりません。

こういったことは、「みんなとやる」という場合もありますが、「自分1人でやれることを1人でやる」ということがとても重要です。

 

さて、「ドリブル」や「パス」などの基礎は、プレーで必ず使うものですから、これは「身体がなじむ」くらいにまで「やり込む」必要があります。

「ドリブル」や「パス」が、「なめらか」になっていなくてはならないのです。

これが「なめらか」にならないうちに、ハイレベルの技を覚えようとしても、それは役には立たないでしょう。

「ドリブル」や「パス」がなめらかになっていないうちに試合に出ても、結局は何もできずに終わってしまうのです。

 

英語もこれと同じです。

まずは、基礎となるような「簡単な英文」が、「簡単に」出てこなくてはならないのです。

そうなるためには、球技などのスポーツと一緒で、「基礎」となるものを「自分1人でやれることを1人でやる」ということを何度も何度も繰り返さなくてはなりません。

そして、「簡単な英文」がなめらかに出てくるようになれば、すでに「英語が話せる」という段階になっていると言っても過言ではありません。

なぜなら、私自身もそうだったからです。

その話はまた次回。
どうぞお楽しみに!

 

 

<続く>

 


 

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