私(久末)が人に英語を教えるということを始めたのが大学生のころ。

あれからもう20年以上の月日が過ぎました。

私が英語を教えたたくさんの人達。

今はもう会うこともない人達。

あの人達は、その後、英語ができるようになっただろうか?

時々、そんなことをふと考えます。

うちのような民間のスクールの教師は「生徒をできるようにする対価」としてお金をもらいます。

生徒をできるようにさせられなかったら、教師として失格です。

ですが、「他人をできるようにさせる」なんてことは、本当は誰にもできません。

その人をできるようにさせることができるのは、当の本人、「その人だけ」なのです。

教える側の人は、当然、そのことが「できる人」であり、
教わる側の人は、当然、そのことが「できない人」です。

「できる人」が「できない人」に教える。

「教える」と言っても、あくまでも知識やノウハウを「伝える」ことしかできなくて、「教わる側」が、伝えられたことを自らの力で消化して実践していくしかないのです。

例えば英語においては、

・文法の知識を教える
・英単語の覚え方を教える
・発音の理屈を教える
・発音の仕方を教える
・英文の作り方を教える
・英作文の際の単語の使い分けを教える

などは教師ができることです。

しかし、生徒がこれらのことを「自分の力」で消化できなければ、なにも意味がないのです。

そして、自力で消化できない生徒はたくさんいます。

そういう生徒達に教えていると、

『自分のやっていること(=教えようとすること)には、なにも意味がないのかもしれない・・・』

という虚無感に襲われることがあります。

たぶん、人に教えるという経験がある人なら同じように感じたことがあるのではないでしょうか。

「自分がやっていることに意味がない」と思ってしまうのはとても悲しいことです。

普通、「苦手なこと」や「自分にはできないこと」に挑戦しても、すぐに結果が出るようなことは稀です。

たいていどんなことだって、時間はかかるし、労力はかかるし、精神力も消耗するし、それに、お金だってかかるかもしれません。

「やりはじめてすぐに成長が見える」なんていうことの方が、この世には少ないはず。

やりはじめて、なかなか成長が見えてこなくて、それでもとりあえず頑張ってみて、でもやっぱり成長が見えなくて。

そういう「もどかしさ」というのは、どんなことであっても「成長」にはつきものです。

問題なのは、そういう「もどかしさ」をどのように受け止め、どのように対処していくか、ということだと思います。

「もどかしさ」はあって当たり前、だから、それをそのまま受け止めて、続けていこう。

このように考えられる人は、たぶん、いや、確実に、一歩一歩成長していくはずです。

ところが、こういうもどかしさに慣れていなくて、「もう、なんでこんなに自分は成長が遅いんだ、というか、全然成長していない、もうイヤだ!」というように受け止めきれない人は、まず十中八九、ダメでしょうね。

「できるようにならないもどかしさ」を受け止めきれない人は、やたら「自分の能力の低さ」や「年齢(若くはないということ)」や「センスのなさ」などを言い訳にしてしまいます。

でも、自分ができるようにならない原因は、自分の能力の低さではありません。

年齢でもないし、センスでもありません。

できるようにならない原因は、「もどかしさを受け止めきれないこと」なのです。

もどかしさを受け止めることが出来るようになれば、カメの歩みであっても、必ずできるようになっていきます。

私自身もこれまで、いくつかの「苦手」に取り組んできました。

私は4年ほど前までは身体が固かったのですが、毎日前屈をし続けて、今では手が地面につくようになりました。(今も毎日前屈と上体そらしを欠かさずやっています。)

読みづらかった字も、ボールペン字を練習して、それなりに読めるようになりました。(と自分ではそう思っている…)

左手で箸を持って食事する、ということも、今ではかなり上手にできるようになりました。(もう1年半は継続しています。)

英語も同じように、「できるようにならないもどかしさ」と戦いながら、高校時代のアメリカ留学生活「10ヵ月」を乗り切りました。

何かを克服したり、何かを身につけることに成功した人は、必ず「もどかしさ」を受け止めたはずなのです。

もしも「できるようにならない」ことがあるのだとしたら、たぶん、本当の敵は、「自分の中のもどかしさ」なんだろうと思います。

なんでもそう。

勉強も。

仕事も。

人間関係も。

「もどかしさ」を感じることがあるならば、そこには「成長のチャンス」があります。

「もどかしさ」を感じないことは、絶対に成長にはつながりません。

「もどかしさ」は決して心地良くはありませんが、人間、誰だって「もどかしさ」には慣れることができるはずです。

「もどかしさ」から逃げないで、

「もどかしさ」を受け止めて、

「もどかしさ」の中に身を置いて、

「もどかしさ」と共に進みましょう。

「もどかしさ」の中にずっといれば、そのうち「もどかしさ」も小さくなります。

「もどかしさ」が小さくなるということは、「自分が少しずつ成長している」ということを意味します。

年が明けて、新しく何かに挑戦しようと思っている人は、是非「もどかしさ」がやってくることを覚悟して、受け止めてほしいと思います。

教師もまた、すさまじい虚無感に襲われることがありながらも、「もどかしさ」を受け止めているのです。

<おしまい>

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